2015年10月16日 更新

THE 冠 インタビュー

記事公開日:2015/09/09 - 新作『鎧兜鎖血』のインタビュー。

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記事公開日:2015/09/09

 THE 冠が新作『鎧兜鎖血』を完成させた。日本屈指のシャウターである冠徹弥ならではと言える、徹頭徹尾の熱いヘヴィ・メタル。怒りも哀しみも喜びも笑いもある。何よりも注目すべきは、本作を「新たなスタート」と位置づけていることだろう。テレビのヴァラエティ番組などに登場する彼の姿にも嘘偽りはないが、やはり本質がよくわかるのは、音源でありライヴである。待望の全国ツアーを目前に控えた冠徹弥は、今、何を思うのか。ミュージシャンとしての黎明期の歩みから思い描く未来まで、じっくりと語ってもらった。彼を知らない、または先入観のある人こそ、その真摯な言葉に耳を傾けてみて欲しい。
THE 冠

THE 冠

冠徹弥

THE 冠:冠徹弥
インタビュアー:土屋京輔

「ヘヴィ・メタルを貫くのは、もう僕の仕事だと思ってますよ」

--- 冠徹弥といえば、インパクト絶大なシンガーであることは周知の事実としても、自己紹介をする場合、いつもどのように説明するんですか?


冠:まぁ、だいたい初めての人には、「どうも、ヘビメタやってる冠です、よろしくお願いします」って感じですね。すると「あぁ、ヘビメタですか!?」なんて言われたりして(笑)。一番わかりやすくいうとそうなりますよ。前のバンドのSO WHAT?でデビューして、今年でもう20年ですけどね。1995年に東京に出てきましたから。


--- デビュー時はルーク篁さん(聖飢魔II)のプロデュースでしたよね


冠:最初はそうでしたね。だから20年前に聖飢魔IIの前座とかもやらせてもうて……そこからずっと低空飛行のまま(笑)。でも、やめていく人も多い中で、続けていられるというのは嬉しいですけどね。全然関係ないですけど、つい二日前にデーモン閣下が舞台(5月末から9月上旬まで行われていた劇団☆新感線の『五右衛門VS轟天』)を観に来はって、(終演後に)一緒に飲むことになったんですよ。こんな機会は何年ぶりやっていうぐらいでしたけど、いまだに続けててよかったということで、褒めていただきまして。でも、舞台ではちょっと声がかすれてたんで、「お前、シャウトがまだまだだ」とダメ出しもいただきましたけど(笑)。いやいや、ちょっと待ってくださいよってね。それまでに70ステージやってきた喉というのを踏まえて欲しかったんですけど(笑)。もっとやせろとも言われましたね。ミュージシャンなんだから、もっとカッコよくしろと(笑)。20年経っても、怒られっぱなしですけど(笑)、まだまだ先輩の背中は遠いぞと思いますね。


--- それはいつになっても思うことなんでしょうね。ところで、冠くんがヘヴィ・メタルの世界に足を踏み入れるキッカケになったのは何だったんですか?


冠:小学生の頃から僕はプロレスが好きだったんですよ。好きなレスラーはいろいろいたんですけど、その中でもロード・ウォリアーズっていう二人組にすごく惹かれて、僕の衣装にちょっと近い……というか、パクってるんですけど、アメフトの防具に棘がブワッとついてて、顔にすごいメイクをして、相手を秒殺でやっつけるんですよね。


--- あの当時の子供たちはみんなシビれましたよね。


冠:そう。その彼らの入場曲がBLACK SABBATHの「Iron Man」で。子供心ながら、あの曲を聴くと燃えてね。みんなで「デーンデーンデデデー♪」って歌ってて。そこからです。プロレスってそういう激しい入場曲も多かったんでね。もちろん、歌謡曲も聴いてたんですよ、中森明菜だ、中島みゆきだ、井上陽水だみたいな。そこで中学に入ってからハード・ロック・ブームが来て、一気に合致したという。そのうちにVAN HALENに始まり、MOTLEY CRUEとか、DOKKENとかJUDAS PRIESTとか、いろんなヘヴィ・メタルを聴くようになるんですけど、楽器にも興味が出てきて……最初はギターをやろうと思ったんですよ。ヴォーカリストは恥ずかしいと思って。


--- ヴォーカリストに転向したのはいつだったんですか?


冠:ホントはギタリストがよかったんですけど、SO WHAT?のギタリストになる岸井(将)も同じ中学で、僕のほうが先に始めてたから、「教えてくれ」って、よく家に来てたんですよ。そのときは二人で合わせるにしても、僕がリードを弾いててね、「速弾きは俺だ!」って(笑)。高校生になって一緒にバンドを始めたんですけど、そのときのヴォーカルの女の子が、「ヘビメタをやるのはイヤだ」「大学受験を頑張る」っていうんで辞めちゃったんですよ。でも、文化祭に出るのは決まってるし、どうすんねんと。そこで、「じゃあ、お前、行け」「じゃあ、俺やるわ」みたいな。上島竜兵さんみたいな状態になって……逆か(笑)。でも、お前が一番目立ちやから行けいうて、しゃーなしにやったんですよ。それまではOZZY OSBOURNEとか、できひんくせにイングヴェイ(・マルムスティーン)をやったりしてたんですけど、俺がヴォーカルになって一発目のライヴは、ブライアン・アダムスでした(笑)。


--- メタルじゃなかったと(笑)。


冠:そう。いきなり高い声も出ないんで(笑)。ブライアン・アダムスは中学校のとき好きやったから、それやったら歌ってもええぞって(笑)。「Summer Of 69」とかやりましたね。でも、全然、盛り上がらへん(笑)。それまでは真っ黒の服を着てたのに、そのときは白シャツでやりましたよ(笑)。


--- まさにブライアン・アダムス気分ですね(笑)。


冠:でも、やったらやったで、やっぱりメタルをやりたいんで、そこからは練習をしましたけどね。


--- 成り行きでヴォーカルを務めたものの、歌うのも悪くないなと思ったわけですね。


冠:悪くないなと。それと、ギタリストとしての上達が見込めなくなってきたのもありましたね。相方の岸井がグイグイと腕を上げまして、イングヴェイも弾けるようになってきたんですよ。VAN HALENとか教えてやってたのに、俺より遥かに上手くなって。じゃあ、お前がギターで俺が歌うってことで、SO WHAT?を作るんですけどね。そのときはもう大学生になってましたけど。だから本格的に始めたのは……クルマの免許をとってからですよ。クルマの中が僕のスタジオみたいな感じで、カーステでガンガンと音楽をかけて、ドライブしながら奇声を発してましたね。隣ですれ違う人が、ちょっと気持ち悪い顔をしてよう見てましたよ(笑)。


--- SO WHAT?はオリジナル曲をやるバンドとしてスタートしたんですよね? それまでコピーしていたオジーやイングヴェイなどとは、音楽的には方向が違うじゃないですか。


冠:でも、やっぱりLAメタルとかが好きやったんで、最初はそんな感じやったんですよ。MOTLEY CRUEとかPOISONとかみたいに、簡単やけどカッコいいっていう曲ですね。大学生ぐらいやと、あんまり難しいのもできなかったし。ただ、PANTERAが流行り始めたときに、岸井は「これしかない」と思ったんですね。でも、僕はヴォーカリストとして、JUDAS PRIESTの『PAINKILLER』に衝撃を受けたんですよ。こんな最強なアルバムが世の中にあるのかって。「じゃあ、PANTERAとJUDAS PRIESTがくっついたようなバンドせえへん?」ってことになったんですよ。多分、今、改めてSO WHAT?の曲を聴いたら、なるほどっていうところもいっぱいあると思いますよ(笑)。もちろん、バンド名からもわかるように、METALLICAの影響もありますけどね。


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土屋京輔 土屋京輔