2015年10月5日 更新

第0回:プロローグ編

記事公開日:2015/04/30

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記事公開日:2015/04/30

 新たに『Metallization.jp』において、連載コラムを担当させていただくことになりました。このサイトの設立趣旨である“メタル”を中心としながら、幅広い話題を採り上げていけたらなぁと考えています。本格的なスタートの<第1回>は5月中旬以降の公開となりますが、執筆者について知っておきたい方もいらっしゃるかもしれないなと、今回は自己紹介的な内容を書いておくことにしました。あくまでもプロローグ編ですので、大した話はありませんが、お時間のある方はご一読いただければ幸いです。
 まずは音楽との出会いから。小学生の頃はいわゆる歌謡曲をテレビで見聞きする程度の関心だったわけですが、ある時期からYMOにハマり、彼らのアルバムばかりを聴く日々になっていきました。当時、学校のお昼の放送や運動会でYMOの曲が流れていて、たまたま音源を友達(坪井くん)のお兄さんが持っていて、家に遊びに行ったときに聴かせてくれた、そんなキッカケだったと思います。
 それと同じぐらいの時期に、体育館などで観たブラスバンド・クラブのパフォーマンスに衝撃を受け、高学年になった際には迷わず入部。ユーフォニアム(その頃はユーフォニュームといった呼び方をしてました)を担当することになりました。演奏する曲はそれこそ校歌だったり、童謡だったりしましたが、家にクラシックのLPがたくさんあったので、金管楽器を始め、オーケストラ的な音には幾らか親しみもあったのかもしれません。
 中学でも吹奏楽部に入ろうと思っていましたが、悩みに悩んで、小学校低学年の頃にやっていたという理由で剣道部を選択。市内では結構ないい成績を残したので、結果的はよかった……という話は置いておくとして(笑)、入学した辺りから、今まで知ることのなかった“洋楽”に触れることになるわけです。
 最初はアラベスクだったと思います。もちろん、リアルタイムではないのですが、バトン部の人たちが使用していた彼女たちの曲(「恋のメリーゴーランド」等)に惹かれたのでした。元LaputaのKouichiくんともそんな話題で盛り上がったことがありましたが、キッカケはともかく、あの頃、アラベスクが気になった人は多いみたいですね。大人になってから調べてみると、1980年前後には日本でもすごく流行っていたようで。
 YMOとアラベスク。気付けば、何てことはない、誰もが知っているような音楽を楽しんでいたわけですが、そんなときに飛び込んできたのがDURAN DURANでした。これもバトン部のお姉さんたちに教えてもらったんだったかなぁ……。再結成したときの日本武道館公演は、早々とチケットを確保したぐらい、彼らの楽曲は今もよく聴いているほうだと思います。そして、ご多分に漏れず、いわゆるニュー・ロマンティック〜ニュー・ウェーヴのムーヴメントで語られる、CULTURE CLUBやKAJAGOOGOOなどを知るのです。小林克也さんが司会をされていたテレビ番組『ベストヒットUSA』を観るようになってからは、英米の様々なアーティストに興味が広がっていったのは、同世代の方なら共感していただけるところでしょう。
 以前、ある誌面でも話しましたが、恐らくメタルを初めて知ったのは中学1年の冬。友人に聴かされたLOUDNESSでした。彼の持っていたカセット・テープのインデックスに“ヘビーメタル”とマジックで書かれていたのを、はっきりと記憶しています。当時は「何てうるさいんだろう」と思い、まったくハマることはありませんでした。それからしばらくして別の友達(綾木)が「凄いバンドだから!」と聴かせてくれたのがSLAYER。ここでヘヴィ・メタルとは完全に距離を置くことになりました(笑)。
 とはいえ、TOTOやNIGHT RANGERのヒット曲に触れる間に、ハードなサウンドに免疫ができていたのでしょう。少なくとも翌年には、DOKKENやらSTRYPERやらを聴くようにもなっていました。次第に日本のバンドにも興味を持つようになっていて、衝撃的(?)な出会いをしたLOUDNESSは、すぐさまフェイヴァリット・バンドになるのです。ANTHEMを知ったのは、SLAYERを聴かせてくれた先述した友人が、音楽室のドラム・セットで「Wild Anthem」を歌いながら、大内貴雅さんの物真似を見せてくれたのが最初だったと思います。
 高校生になる頃には、ギターを始めたことも関係しているかもしれませんが、AOR的なものからスラッシュまで、幅広くヘヴィ・メタルを聴くようになっていました。周囲の環境変化はすごく影響があったなぁと思います。メタル好きなクラスメートも少なくなかったですね。近所の中学生バンドがオリジナルのデスメタルをやっていて、しばしば呼ばれて、リハーサルに顔を出すことがありました。彼らから教えてもらったバンドもたくさんあった気がします。そういえば、HELLCHILDの初代(?)ベーシストが同じ中学の同級生だったなんてこともありましたね。
 それから何より大きかったのがレコード店。学校帰りに毎日のように立ち寄っていた新星堂柏店の存在です。このお店は輸入盤も充実していて重宝したんですが、さらに国内のインディーズものにも力を入れていて、その担当だったFさん(確か東京のDELIGHTSが好きだった)が、いろんなバンドを紹介してくれたのでした。REACTIONやDEAD ENDは言うに及ばず、SABER TIGERやUNITEDやDOOMなどのEPもここで買ったはずです。URGH POLICEのデモなんかもあったなぁ。
 そのうちにメジャーなバンドばかりでは飽き足らず、アメリカや西ヨーロッパ以外にも目が向くようになり、大学に入ってからは(一橋に行ったと思い込んでる高校時の同級生がいるみたいだが、違うよ!)、いつしか現地にアルバムを買いに行くなんていう行動もするようになりました。インターネットなどなかった(厳密に言えばありましたが)時代の話ですね。その辺はまた別の機会に書こうかなと思います。大学生の頃には、音楽サークルに入った影響で、今で言うクラシック・ロックに触れることも多かったです。
 そんな学生時代を経て、大学卒業後は出版社に就職。第一志望だった音楽系の某社の内定を頂きつつも、諸々の事情で辞退せざるを得なかったのですが、その後、会社を辞めてフリーランスとなり、“音楽ライター”として活動していくことになったのですから、人生とはわからないものです。「音楽ライターになるには、どうすればいいのですか?」といった質問を受けることもありますが、僕の場合は単純に成り行きでした。この辺りの経緯も何らかの折に書くかもしれません。興味のある方がいればの話ですが……。
 でも、実際のところ、自分の仕事の中で、メタルが占める割合って、そんなに多くないんですよ。僕自身も音楽は幅広く好きなので、いいバランスで仕事をさせてもらえてるなぁと思います。
 そうそう、この場をお借りして……。ライター/編集業と並行して、長らく手掛けているものの一つに、1999年から始めた『PURE ROCK JAPAN LIVE』というライヴ・イヴェントがあります。
 次回は2015年5月31日(日)に川崎・クラブチッタにて。出演はデビュー30周年を迎えた日本の重鎮たるANTHEM、世界屈指の敏腕集団と言えるGALNERYUS、個性的なシンフォニック・ロックを作り上げている摩天楼オペラ、ドラマティックな楽曲で魅せるLIV MOONの4組。少しでも興味を抱いた方は、ぜひ足を運んでみてください。ここまで強力なランナップの公演はなかなかないという意味でも貴重ですが、この日にしか観られないパフォーマンスが繰り広げられることも確実です。詳細はオフィシャル・サイトをご覧ください。
 さて、ひとまず今回はここで締めようと思います。長々とご拝読をありがとうございました。次回からは本格的に様々な話題に触れていきます。ツイッターのアカウント等にもご意見、ご感想などをお寄せただければ幸いです。よろしくお願いします。
2015年4月29日
土屋京輔/KYOSUKE TSUCHIYA
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土屋京輔 土屋京輔