2015年10月5日 更新

第二回:高谷学(DIABLO GRANDE) x 山口昌人(BLIND BIRD)

記事公開日:2015/05/09 - 第二回のゲストは、FEEL SO BADでの活躍で知られ、現在は数多くのバンドのサポートの他、BLIND BIRDで活動するドラマーの山口"PON"昌人氏。

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高谷学(DIABLO GRANDE) x 山口昌人(B...

高谷学(DIABLO GRANDE) x 山口昌人(BLIND BIRD)

「こりゃドラムのせいじゃ。覚えて驚かしてやろう」

高谷:ドラムを選んだきっかけは?

山口: 実はドラムをやるつもりはこれっぽっちもなくて。音楽そのものも、やるつもりなかったんですよね。

高谷:NOVさん(第一回ゲストのNOV氏/AION)と同じですね。

山口: そういう人は多いと思うんだけど。俺ら世代って「ミュージシャンになろう!」ってはじめるヤツは皆無だったし。「音楽やってる人は芸能人」っていうくらいの感覚だったんで。

高谷:一般の人の感覚ってそうかもしれませんね。

山口:広島の実家が洋服屋で、商売人の息子でしたから。向かいに楽器屋があるくらいで。小学校高学年くらいになると、歌謡曲とかアイドルとか周りがワーワー言い出して。ヤンキーカルチャーじゃないけど、他人と違う事を見つけたくなる時期に、なんでもいいから自分にステータスが欲しかったのは確かに覚えてます。卒業文集には「店の跡継ぎ」とか夢のない事を書いてましたけど(笑)そんな中、中学に入る前にトラブルに巻き込まれて。他校のヤンチャなヤツに喧嘩売って逃げた事があって(笑)たまたま相手の学校の前通ったら、まんまととっ捕まって。連れが居たんで、仕方なく全面降伏したんですわ。それが、中学の入学式でその相手とばったり会っちゃって(笑)「うわ!おない(同じ)年かお前!」みたいな(笑)その後なぜか仲良くなった(笑)で、当時ゴダイゴが大好きで。歌いたかったんですよ。

高谷:難しかったですね。ゴダイゴの歌は。

山口:歌詞を覚えたくて、レコード買ってきて親父に歌詞をコピーして貰ってね。下敷きの中に入れて授業中隠れて読んでたんですわ。ほんなら、先生に見つかって「お前これ歌えるんか?」って。「いや、まだ・・・」って言ったら、例の俺をシメたヤツが「こいつ他の曲なら結構歌えるよ!」って(笑)「皆の前で歌ってみなさい」みたいになって。もともとそんなキャラでもなかったのにクラスメイトに乗せられて(笑)手拍子だけで「ビューティフル・ネーム」をアカペラでフルコーラス(笑)

高谷:今そんな事させたら問題でしょ(笑)

山口:クラスには片思いの女の子がいたのに(笑)その子は真っ赤な顔して笑ってるわ、面白がってるヤツもいるし、マジで喜んでるヤツもいて。恥ずかしいのと悲しいのと気持ちいいのと。「なんだこれ?」みたいな。初ステージですわ。

高谷:オーディエンスのリアクションを肌で感じた。

山口:そう(笑) そのシメたヤツがギターやっててね。そいつに「お前歌うまいじゃん!一緒にやろうや!」って言われて。そんで、バンドでやるからって渡されたんが「Smoke On The Water」のドーナツ盤(笑)小汚いおっさんがジャケットに写ってるのを見て「なんじゃこりゃ!?」(笑)でも聴いたら、これが格好良くて。イントロから全部覚えました(笑)曲がシンプルだったから覚えやすかったんでしょうね。

高谷:わかります(笑)

山口:バンドでスタジオに入って「せーの」で合わせたら、ドラムのヤツがイントロでコケる(笑)イントロの練習だけで二時間(笑)歌う事もないまま帰ろうとしたら「PON。スタジオ代800円。」「は!?わし歌ってないし」「いや。これバンドだから」って(笑)「バンドってそういう事かぁ!?」って(笑)

高谷:中学高校の800円はでかいっすよ(笑)

山口:「こりゃドラムのせいじゃ。覚えて驚かしてやろう」と。うちで菜箸をスティック代わりに週刊誌を叩いて練習して。二回目のスタジオでもやっぱりドラムの子がダメ。休憩時間に「ちょっとやってみてもええ?」って。やってみたら、できちゃって(笑)ドラムのやつは「PON卑怯だ」って泣いちゃうし(笑)周りは目をキラキラさせて「PONドラム決定!」ってなっちゃって(笑)ドラムのヤツはクビ(笑)

高谷:じゃ、そこからドラムの道に入ったんですね。

山口:高校に入ってVAN HALENのコピーバンドをやるようになって。FEN(※注釈#1)でリリース前の新曲をいち早く聴いて耳コピ。当時はコンテストくらいしか演奏できる場所がなかったから、(コンテストを)荒らしまくって。でも、なんかつまらないなぁと。ある日、気づいたんですよ。周りの仲間がひっそり観に来てるだけじゃないか。小さく盛り上がってるだけじゃないかって。ふと思いついて「コンテストに出てる出演者全員で、互いのステージを客席から盛り上げたらいいんじゃないか?」って。盛り上がると気持ちいいから、お互い様でそういうムードができてくる。「これ面白いな、これをやっていこうよ!」って輪が広がって。その中に奥田民生や吉川晃司とかがいたんですよ。ジャンルこそ違うけど、情報交換しつつ仲良くなって。

世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局(ラジオ部門、テレビ部門、ニュース制作部門の3つから成る)であり、米軍の商標である。日本でのサービスは、1997年までFEN(エフイーエヌ、Far East Network、極東放送網)と呼ばれていた。
※注釈#1
高谷:当時の地元の音楽シーンではPONさんがリーダー的な存在だった?

山口:でもみんな仲間でしたよ。家が楽器演奏できる環境だったから。練習スタジオ代わりに貸してあげたりもしてましたし。そのうち吉川のバンドが練習場所に困って「練習させてくれ」って言ってきて。彼は当時なぜか嫌われてた、見た目がいいから(笑)。でも話してみたら、めっちゃええヤツで俺もコロリと変わって(笑)そっから仲良くなりましたね。吉川がデビューする云々のときも相談されたりして。その後、僕は上京してローディやりつつバンドをやって。

上京したら、即プロとしてやっていきたいと。

高谷:あの頃のジャパメタって、メンバーの加入と脱退が入り乱れてましたよね?

山口:当時から自分にはポリシーがありましたね。上京したら、即プロとしてやっていきたいと。そもそもデビューの話があったんですよ。先輩がとある事務所からヴォーカルとしてデビューするというので、自分も引っ張られて上京したんです。結果、その先輩はデビューしなかったんですけどね・・・。最初のミーティングに来なかったんですよ、その先輩(笑)当時携帯もないですから。待ち合わせ場所で何時間も待って。うろ覚えの事務所の名前を頼りに連絡先を探して電話をして。事の次第を話したら「そういうお話は確かにありましたが、その方と連絡が取れなくなりました。」って(笑)意を決して上京してきたのに、いきなり何もなくなったと(笑)その後、本城未沙子さんのバックバンドのオーディションを受けて落ちたり。色々トライしたんですけどね(笑)途方に暮れてた時にふと思い出して。上京前に地元でデビュー前のEARTHSHAKERと対バンした時に、「ワシら上京してデビューするから。遊びこいや」って言って貰ってたんですね。それを思い出して、のこのこ会いにいったんですよ(笑)「ごめんください」「お前誰じゃ」「PONです」「ホンマに来たんか?」って(笑)驚かれたけど、ローディとして雇って貰えて。最終的にはKUDOさん(工藤義弘氏/EARTHSHAKER)に「ドラム辞めて一生俺のローディとして働かんか?」って口説かれましたもん(笑)その後、バンド活動をやる事になるんですけど。最初に出会ったのが戸城君(戸城憲夫氏/元ZIGGY、現THE SLUT BANKS)。彼が「Player」でメンバー募集を出してて。それはヴォーカル募集だったんだけど、自分が知ってる先輩がオーディション受ける事になってて、ドラムがいないから手伝ってくれと。当日オーディションを終えて、「ほいじゃ、御疲れ様です」って帰ろうとしたら、戸城君が「ちょっと。あのヴォーカル一緒じゃなきゃダメかな?」って。ヴォーカルのオーディションだったのに、ヘルプで行ったドラムの俺が口説かれるという(笑)その場で先輩に「俺、入る事になったけど、先輩はあかんて」って言いました(笑)

「本気でやりたいなら、お前の場合はアメリカに行ったらいいんじゃないか?」って言われて。

高谷:言ったんだ(笑) そこから本格的なライヴハウスでの活動が始まるわけですね。

山口:ところが、ちょうどその頃SHARAさん(石原慎一郎氏/EARTHSHAKER)に「本気でやりたいなら、お前の場合はアメリカに行ったらいいんじゃないか?」って言われて。EARTHSHAKERがLAでレコーディングした時のコーディネーターがギタリストで、メンバー探してるって話で。丁度来日すると。それで会って話して、スタジオに入ったらいい感触だったんですよ。日本でデモを録って、現地でディール交渉するって話でした。それがKUNIだったんですけど。それで、話が本格化したからこっち来るか?って連絡があって。お金がないから、親に相談したら「今度はアメリカか!?」って(笑)

高谷:「あんた また騙されるんちゃうん?」って?(笑)

山口:幸い、親父に理解がありました。「大学行かせたつもりで行かせてやるから、納得するまでやってこい」って、送り出してくれました。LAに着いて「今日はお前のウェルカム・パーティだ」って連れて行かれたのが、かのRAINBOW(※注釈#2)。店中に当時の有名ミュージシャンがいて(笑)ファン気分丸出しで大興奮ですよ。イアン・ペイス見つけてサイン貰ったり。でもKUNIに「明日からは彼らがライバルだから」って言われて。要求された事ができなきゃ居場所はない、ってところでしたからね。意識を高めるいい切っ掛けになりました。LOUDNESSのアメリカデビューの時も現地に居ましたけど、彼らですら本番前にナーバスになってましたよ。

1972年創立のカリフォルニア・ウエストハリウッドにあるレストランバー。ダンスフロアやDJブースが併設されており、近隣にはライブハウスThe Roxy TheatreとThe Key Clubがある。80年代には様々なLAメタルのバンドがこちらを題材とした楽曲を創作している。
※Wikipedia参照
※注釈#2
高谷:その後、そのプロジェクトはどうなったんですか?

山口:ヴォーカルがなかなか決まらなくて・・・。地元のフリーペーパーで募集の告知をしたんですけど。ダメなのばっかり山のように来る(笑)マネージメントも決まらなかったりで。一年弱居たんですが、とうとうお金も底尽きて。当時実は、ルディ・サーゾとトミー・アルドリッジがKUNIに興味を持っていたみたいで。KUNIもきっと一緒にやりたかったと思うんですよ。そんな事もあって、日本に帰る事を決心して。そして、広島に帰ったと思ったら一週間で大阪にいく事になり(笑)日本でKUNIのデモを一緒に録ったベースのヤツが、一緒にやりたいと。迎えに来られちゃってそのまま拉致監禁(笑)外国人シンガーを迎えてのバンドだったんですけど、しばらくするうちに「辞めたいな」って思い始めちゃって。そんな時にFORT KNOXに出会ったんですよ。

高谷:そこからですね。俺らが知ってるPONさんのキャリアは。

山口:FORT KNOXを客席から見て「こういうバンドやりたいな」って思ってたら、「ドラムが辞めちゃうから、やれへんか?」って(笑)

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yuzo / Vorchaos | 1,388 view

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