2015年10月5日 更新

第1回:UNITEDの横さんに関する、ちょっとした四方山話

記事公開日:2015/05/31

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記事公開日:2015/05/31

 どんな職種でも同じかもしれませんが、フリーランスという立場ですと、基本的に自宅が仕事場になるため、関連資料を保管するのもオフィスの書庫などではなく、自分の部屋ということになってしまいます。CDだけで何枚ぐらいあるんだろう? とにかく専用のCDラックには収まり切らない分量で、あちこちにタワーが築かれています。雑誌類もそうですね。毎月、少なくとも数誌で執筆させていただいているので、一定割合で増えていきます。
 同業の人たちはどのようにしているのかなともよく思いますが、きっとさほど変わらない状況だろうなと、自分がきちんと整理できない理由を正当化しています。この様々な物品の中で、媒体資料というものがあります。これは音源をリリースする際に、レコード会社などがプレス向けに作成した商品案内ですね。音楽業界ではよく“紙資料”と呼ばれるんですが、これがまたかさばる(苦笑)。だいたい数枚のA4の紙で構成されています。
 ホントにアーティスト名とアルバム・タイトル、収録曲、発売日ぐらいしか書かれていない簡易なものから、歌詞のみならず、読み応えのあるメンバーによる楽曲解説なども掲載された詳しいものまで、その体裁一つでレコード会社の力の入れようも見えてきます。職場や学校でプレゼンテーション用資料を制作されたことのある人もいると思いますが、その作り次第で説得力も違ってくることがあるんですよね。
 その件は置いておくとして、ものすごく重要な事項が記されているもののみは残し、僕の場合、紙資料は、適宜、処分していきます。それでもかなりの数が手元に残っていますので、やはりモノを捨てられない性分なのだなと、片付けをするたびに呆れます。
 さて、前段が長くなりましたが、本題はここから。先日、いつも以上にまともな部屋の片付けをしていたとき、ある紙資料が出てきました。UNITEDの『INFECTIOUS HAZARD』リリース時(2001年4月4日)のものです。5月13日のことです。そう、昨年亡くなったリーダーでありベーシスト、横山明裕さんの一周忌でした。あぁ、横さん、狙ってきたなと思いましたよ(笑)。そう感じた理由は他にもあって、このアルバム、それまでDEATH FILEで活動していた湯浅正俊くんが新ヴォーカリストとして加入しての第一弾作品だったんですよね。そして、一昨年から彼が復帰したUNITEDは、今、新作に向けて動いている。そんな不思議な巡り合わせを感じたわけです。
 「そろそろ、俺のことを書いてもいいんじゃない?(笑)」と、横さんに言われているのかもしれないな、そう思って、今回のコラムの題材を決めました。この1年、あえてあまり書かなかったんですよね、実は。葬儀にも参列させていただいたけれど、やっぱり未だに実感もないもので。
UNITED『INFECTIOUS HAZARD』紙資料

UNITED『INFECTIOUS HAZARD』紙資料

 UNITEDを知ったのは高校生のときでした。多分、『ロッキンf』か『BURRN!』で名前を目にしたのが最初のはずです。曲自体は友達から聴かせてもらってたかもしれませんが、まず購入したのはEP『DESTROY METAL』のピクチャー盤。ここで名曲「Sniper」に心を持っていかれたのでした。後に英詞のリメイク・ヴァージョンも出ましたけど、どうしても当時の日本語詞が自然に口をついて出てきます。同じ感覚の人も少なくないんじゃないかな(笑)。
 ライヴを初めて観たのはいつのことだったか、まったく覚えていない……。メンバーと直接話をしたのは、今の仕事を始めてからですね。『DISTORTED VISION』(1998年)のリリースに伴う取材のとき。場所は東京・池袋にあったハウリング・ブルで、大谷慎吾さんと稲津くんにインタビューをしました。そんな経緯もあったので、以降、UNITED側にコンタクトするときは、基本的にレーベルの担当氏じゃなければ、大谷さんだったんですよね。DEATH FILEのラスト・ライヴ(共演はUNITED他)を柏アライヴ(その頃は豊四季というマイナーなところにありました)に観に行ったときも、大谷さんに連絡したはず。
 そうこうしているうちに、横さんとも話をする間柄にはなっていくんですが、より深い話をするようになったのは、きっと『NINE』(2005年)に関するインタビューで、横さんとじっくり話したからなんじゃないかなと思います。テープ起こしをしてみると、もう、どうやっても誌面に収まり切らない分量。何とか圧縮して原稿を作成した記憶があります。『EAT Magazine』に掲載されたんだったかな……と思って調べてみたら、確かにそうでした。NOB&AKIRAの新加入組も同席してましたね。NOBはその前のDEFAME時代にインタビューしたことがあったけど。
 その頃からですね、UNITEDの活動について、横さんから参考意見を求められることが増えてきたのは。お酒の席だったり、電話だったり、誰かのライヴで会ったときだったり。メジャーなところからアンダーグラウンドなところまで、僕の仕事の範囲は広めではありましたけど、他にイベントを打ったり、制作やマネジメントにもいくらか関わることもしていたり、そんなよくわからないところが面白く感じられたみたいです。
 でもね、後輩の意見に耳を傾けるって、なかなかできることじゃないと思いますよ、頭ではわかっていたとしても。横さんはその点ではすごく柔軟性もある人でした。その根幹にあるのは何だったのかと言えば、UNITEDをよりよい環境で活動させたいという親心みたいなものなんじゃないかと思います。「自らもメンバーなのに親心って?」と妙に感じるかもしれませんが、横さんはUNITEDそのものを、客観的な視点からも愛していたということです。そこに在籍する他のメンバーのこともね。
 こんな経緯で、UNITEDの結成30周年のタイミングで、『30th ANNIVERSARY COMPLETE BOX』というCD12枚組のボックス・セットをリリースするとき、ライナーノーツの執筆陣の一人に横さんが指名してくださったんですね。とても光栄でした。他は錚々たる先輩方ばかりでしたし。
 でも、このアニヴァーサリー・イヤーの2011年には、他にも重要な案件があって……。結果的にUNITEDはこの年の『LOUD PARK』に出演し、強力なパフォーマンスを見せつけることになりましたが、実はその一方で、横さんは“UNITED FEST”みたいなものの開催を考えてたんですよね。身近な人たちは知っているかもしれませんが。会場は東京の結構大きなハコを押さえてて、3ステージ制みたいな感じでやりたいといった話をしてました。日程も具体的に言ってましたね。そこで相談を持ちかけられたのは、ラインナップをどうするかってことで……まぁ、実現はしなかったけど、もし開催にこぎつけていたら、また面白い内容になっていただろうなとは今も思います。
 亡くなる2週間ぐらい前、体調が悪いとは言ってたから、「身体に気をつけてくださいよ」なんてメールしてたんですよね。きっと多くの仲間が、同じようなことをしていたのではないかと思います。あの頃には新生UNITEDのニュー・アルバムに向けたプランも直接聞いていたんですが、そう遠くない将来に、横さんの考えていた理想が形となるんだなと思うと、寂しい反面、楽しみもあります。オリジナル作品としては『TEAR OF ILLUSION』(2011年)以来ですもんね。横さんが大切にしてきたUNITEDは、まだまだ前進を続けるわけです。
 最後になりましたが、横さん、今までありがとう。これからもよろしくお願いします。そういえば、サシ飲みって一回ぐらいしかなかったね。だけどさ、何年か前のタイ・フェスティヴァルで一緒に撮った写真、僕、まだもらってないんですけど!
2015年5月30日
土屋京輔/KYOSUKE TSUCHIYA

UNITED

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土屋京輔 土屋京輔