記事公開日:2015/10/29

さて、今回は長くなるので早速本題へ。
HELL BOUND

HELL BOUND

 今回登場するのはHELL BOUNDという金沢のバンド。知らないという人が殆どかと思う。私が知ったのはもう10年近く前になるだろうか?GENOCIDE nipponのギタリストである天谷氏から「昔、金沢にこんなバンドがいて対バンを何度かしたんですよ。クオリティ高くてビックリですよ」とある1本のデモテープを聴かせてくれた。それがHELL BOUNDだった。バンドの名前で「ピン」とくるところもあったし、何よりスピーカーから流れてくる音にビックリした。ヨーロピアンな香りのあるアンダーグラウンドなアメリカの正統派ヘヴィメタル、例えるならOMENやFATES WARNINGといったバンドのサウンドに似たテイストであった。私にとって全くジャパメタ臭が無いのも驚きであった。サウンドだけ聴いていれば、80年代のアメリカの小さなライブハウスにでも迷い込んだような感覚に襲われた。何より曲のクオリティが高かったのでこのバンド名が脳みそにインプットされた。天谷氏も「彼らはFATES WARNINGが大好きでしたね」と言っていて、正直なところ「金沢のバンドでFATES WARNINGが大好き」というところでも驚きがあった。メンバーや金沢のヘヴィメタルファンには失礼な話ですが(笑)。
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 N.W.O.B.H.M.バンドや「こんなオブスキュアなバンドの音源がリリースされるの?」といった驚きのある各国のバンドの発掘作業や再検証に比べ、日本のバンドの発掘作業はそれ程進んでいないと感じる。元々のマーケットの大きさバンドの数、「日本のヘヴィメタル」が置かれてきた状況も関係していると思う。またメジャーからのリリースやEXPLOSION、MANDRAKE ROOTといった大手インディーズレーベルならまだしも、小さなインディーズレーベルやバンド自主制作といったものになるとその全容を把握するのはなかなか難しい。デモテープレベルになるとその作業はさらに困難を強いられる。海外のバンド同様にレコードリリースの前段階「デモンストレーション」という部分も当然あったが、レコードリリースまでのハードルが高かった日本においては「カセットアルバム」という面もあったかと思う。当然そういったバンドの発掘や再検証は困難を極める。音源の入手は勿論のこと、各種文献的資料の入手は奇跡を待つしかないといっても過言ではない。現在はネットが発達し、当時の貴重な資料や体験者による証言がアップされている場合がある。またメンバー公認/非公認あるが貴重な音源や動画で見ることや聴くこともできる。「METAL ENCYCLOPEDIA」なんて超便利なものもあるが、間違いがあったりそこにも掲載されていないバンドも多い。本当に誰か「日本のヘヴィメタル大全」やってくれませんかね?(笑)
 後にTERRA ROSA~DEAD ENDで活躍する足立祐二氏が在籍したJESUS(因みに「The Endless Basis」の原曲をプレイしていた)。同じくTERRA ROSA~BAD LOSERで活躍する鈴木広美氏が在籍していたKING’S ROAD、SABBRABELLSやREACTIONと共に「All Night Metal Party '84 to '85」に参加していたVEIL、女性サタニックメタルバンドVELLE WITCH、「EVIL METAL」GYPSY ROSE、初期ETERNAL ELYSIUMに多大なる影響を与えたRAN-JA、SILVER BACKのメンバーとも関係の深いABSOLUTE OBEDIENCE、幻のPURGATORY、アルバムリリースまであと一歩だったALKALOID・・・。さくっとデモテープの棚を見た時に出てきたバンドであるが、どれもこのまま日本のヘヴィメタルの歴史の中で埋もれさせておくには惜しいバンドばかり。HELL BOUNDもそういった幻のバンドの一つ。もう音源にも、そしてライブも見ることができないだろうなと思っていた。まさかまさかの金沢での再結成ライブ。奇跡が舞い降りた夜、彼らのステージに酔いしれた。
まさかまさかの金沢での再結成ライブ。

まさかまさかの金沢での再結成ライブ。

-Hellbound presents-
LIVE REINCARNATION!
9月20日(日) 金沢 vanvan v4
open/16:30 start/17:00
前売り1800yen 当日2000yen+Drink500yen

出演
HELLBOUND
GENOCIDE nippon
猫☆神
ARGUS
拾参階段

金沢 vanvan v4
石川県金沢市菊川1丁目21−12
076-223-7565
http://vanvanv4.jp/
奇跡が舞い降りた夜、彼らのステージに酔いしれた。

奇跡が舞い降りた夜、彼らのステージに酔いしれた。

HELL BOUND
 メンバーにコンタクトを取ることができたので、ここからは彼らのインタビュー。私の駄文よりも彼らの話の方が100万倍面白いと思います (笑)。東京、大阪、名古屋といった大きなシーンが確立されていたのとは違い一地方都市のバンドの話としても貴重な証言だと思いますし、その後のメンバーの動向もかなり興味深いものとなっていると思います。
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--- バンド結成は年ごろですか?また結成までの流れを教えてください。それとメンバー遍歴について教えてください。


毛利:1979年頃(中学2年)の時に始めたバンドがあって、当時はKISSなんかのコピーから始まって徐々にオリジナルを作っていくようになりました。何度か名前が変わってますが、この時はHELL BOUND ARMYという名前でラインナップは毛利(Vo / G)、本野(B)、利一(Gt)、ナオキ(Dr)でした。1984年にギターとドラムが高校を卒業して就職を機に辞めることになり、FEARでギターを弾いていた岩田に相談し、矢野を紹介されました。


岩田:同じ高校の後輩で、叩いているのを見たこともあったし声をかけてみたんです。それで自分の思い付きですが、自分がギター弾くから専任でヴォーカルやってみたらって。


矢野:自分はパンク系のコピーバンドをやってたんですけど、どれも遊びレベルで。メタルがやりたかったけどメンバーが見つからなくて、もう諦めてたんです。そこに突然この話が来て。HELL BOUND ARMYもFEARもオリジナルをやってたバンドだし、嬉しくって舞い上がりました(笑)。


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毛利:このメンバーと構成でHELL BOUNDとして再スタートしました。
で、1986年春に本野を解雇。この後ツアーを控えてベースを探していたGENOCIDE nipponに本野が加入したんです。それには驚きました(笑)。同年秋にFEARでギターを弾いていた太田をベースとして加入させ、曲作りを始めます。
そして1987年秋に矢野が脱退。後任に武を加入させ、すぐに体制を立て直しました。


矢野:この時に解散というワードも一瞬出たんですが、自分はHELL BOUNDというバンドが無くなって欲しくはなかったので嬉しかったです。


岩田:あとは1989年の解散までこのメンバーです。


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--- リリースされた音源について教えてください。


矢野:1986年に4曲入りの1stデモを発表しました。本野の穴は毛利がベースを弾いて3人で一発録りで4トラックのマルチレコーダーにて完全セルフレコーディングで仕上げました。かなりアンダーグラウンドな感じになってます(笑)。1987にはベースに太田を迎えて、同じくセルフレコーディングで8曲録ったんですが出来栄えに満足できず、先行で2曲入りのデモテープをライヴ会場限定で20本だけ販売しました。結局本作は販売せずお蔵入りになりました。


岩田:1989年に「NORWEGIAN FOREST」を発表。ドラムが武(現HELL BOUNDのベース)に代って1988~89年にかけて金沢のvanvanV4でレコーディング。ちゃんとしたスタジオ作品です


NORWEGIAN FOREST

NORWEGIAN FOREST

1989年発表

毛利:実は1985年にもV4で一度レコーディングしています。当時は楽器店などが窓口になって売り込む形があったのですが、曲が長すぎるとダメ出しをされて発表にはいたりませんでした。自分たちとは意見が合わなかった訳です。本格的なメタルではなく、もっとキャッチーな物を求められました。商業的に売りたかったんでしょうね。


矢野:実際に金沢出身のSAKURA*SAKURA(注:さくらさくら、女性ハードロックバンドだったがメジャーデビュー時にはかなり音楽性が変化。2枚アルバムをリリースし解散。メンバーの高松美砂絵さんはアニメ「美少女戦士セーラームーン」の初代エンディングを歌っていた)LADIA(注:3人組ガールズバンド。インディーズ時代は男性メンバー含む5人組だった。メジャーからアルバム3枚リリースし解散)はvanvan主導の流れでデビューしています。


--- 影響されたバンドはどういったバンドですか?


毛利:本格的にオリジナルを書きだした頃はIRON MAIDENの影響が強かったと思います。そこから遡る形でJUDAS PRIESTも聴くようになりました。あとはとにかく貪るように海外のメタルバンドを聞きまくりました。特に影響を受けたのは初期QUEENSRYCHE、CRIMSON GLORY、初期FATES WARNING、JAG PANZER、MERCYFUL FATE、初期TROUBLE、SLAYER、AGENT STEEL、VOIVOD、ARTILLERY… あげたらきりがないね(笑)。


岩田:自分はOZZY OSBOURNEとかRAINBOWのようなスタンダードな物も結構聞いてましたね。


矢野:俺はスラッシュメタル系に好きなバンドが多かったです。


毛利:フランスのSORTILEGEも。唯一HELL BOUNDでコピーした曲があるバンド、忘れてた(笑)。


--- ネット社会の発達した現在と違い音楽や諸々の情報はどの様にして得ていましたか?


毛利:音源はタワーレコードでジャケ買いしてました。


岩田:当時、自分と矢野は高校生だったので、毛利と本野が買ったレコードを片っ端からテープに録音して貰ってましたね。


毛利:メタルブレイドから出ていたオムニバス「METAL MASSACRE」で良いバンド見つけて、アルバムが出たら買うみたいな。当時日本では無名のバンドFATES WARNINGやOMEN、TYRANT、VOIVOD、TROUBLEとか。


岩田:あとは音楽専門誌かな。ロッキンF誌とかも読んでました、BURRN!誌が創刊されてからはずっと読んでました。巻末のレビューはありがたかったです。メジャーな物以外も扱ってあったから。


矢野:後々ずいぶんと変わったけど、上から目線でマニアックなバンドを酷評してましたね。BATHORYの0点とか笑いました。逆に興味が湧くっていう(笑)。たしかSODOMもすごい点数ついてたね(笑)。 あと、自分は1991年くらいからはBURRN!誌に出ていたDISK HEAVENの広告で「TO THE MARROW ~」(注:HELLCHILD、TRANSGRESSOR等日本のデスメタル9バンド収録のオムニバス。Toy's Factoryからリリースされていた)とかMAGGOTY CORPSE(注:現BUTCHER ABCの関根氏が在籍していたデスメタルバンド)スプリットとかGORE BEYOND NECROPSY(注:NOISE A GO GO'Sの前身バンド)のデモテープとか買ってました。ファンジンの存在もその辺から知って、取り寄せたりしてデス / スラッシュメタル系のデモテープを結構買いましたね。


--- ライブを見てジャパメタ臭を感じなかったのですが、それは意識してそういったものを排除したのですか?


毛利:当然意識してました。当時(特に日本で)活動していた、いかなるバンドにも似る事を避けていましたから。


岩田:参考の為に雑誌なんかで紹介されたバンドは結構聴きましたね。


矢野:ちょっと誤解してるかもしれませんが、80年代後半になってスラッシュメタル勢が台頭してくるまで、いわゆる「ジャパメタ」と言われるバンドには、自分たちの思うような硬派なイメージのバンドは殆ど居なかったと思うんです。そう考えると、似る事がなかったのは当然の流れかも知れませんね。


毛利:あと歌詞は英語に拘りました。ずっと洋楽を聴き続けてきたので当然のように英語という感じで。
ジャパメタっぽくないと言われたのは嬉しいです。


--- 当時の活動は金沢中心でしたか?また当時の金沢のシーンはどんな感じでしたか?またどういったバンドとライブを一緒にやっていましたか?


矢野:金沢中心です。ハードロックやヘヴィメタルのバンドはいましたが、オリジナルをやっているバンドはまだ少なかったですね。徐々に増えてきましたが。当時は今のようにバンド側がハコを借りて企画ライブをやるというスタイルはスタンダードではなかったので、活動初期の頃は楽器店やライヴハウスの企画ライヴ、地元の祭りや何かのオープ二ングイベントに出るとか。あとはヤマハのコンテスト(注:名古屋で開催されていたMID LANDコンテスト。SABBAT等も出演していた)や楽器店主催のコンテストにも出ていました。前述のSAKURA*SAKURAやLADIAも初期はハードロックやヘヴィメタルをプレイしていましたし、対バンもしています。


MID LANDコンテスト

MID LANDコンテスト

岩田:自分らは所属しなかったんですが、1985年頃にエストラージュというバンドとvanvanV4が中心となってNEXT AGEというローカル事務所みたいなものを立ち上げたんですね。その頃からバンド側の企画ライブが増えていったと思います。METAL NIGHTっていう企画ライヴにも出してもらいました。NEXT AGEはV4でレコーディングして所属バンドのオムニバスのテープなんかも出していましたね。


毛利:V4からのオファーで1987年にはMEPHISTOPHELES、88年はOUTRAGEのツアー、89年はCRY WOLF(注:USのハードロックバンド。新宿レコードからミニアルバムをリリースしていた)のツアー時の対バン(前座)にあててもらったりしました。


岩田:1986年から金沢vanvanV4と福井松木屋の繋がりで松木屋の企画ライヴに呼んでもらって、GENOCIDE nipponと初対バンさせてもらいました。金沢からはSAKURA*SAKURAとエストラージュと3バンドで行ったと記憶しています。その後も数回松木屋企画に出してもらって、GENOCIDE nipponとは何回か対バンさせてもらいました。


矢野:その間にも福井の企画者に呼んでもらってアティックというライブハウスで、福井のDEETH BREEDや富山のDAMIENとも対バンしました。後々になって分ったのですが、1987年3月29日の松木屋のライヴで高校生のオカジ君(OKAZZY!氏、VOIDD並びにCLANDESTINED)のバンドと対バンしてるんです。VOIDDに「Hell Bound」ってタイトルの曲があるんですけど、その時の対バンを覚えてて付けたって話をついこの間聞きました(笑)。


Voidd / Premonatry Inscription

Voidd / Premonatry Inscription

1. Black Fate
2. Hell Bound
3. Betrayer
4. Total Mayhem

--- 東京へは解散直前に一度行かれたとのことですが、それまで遠征のチャンスは無かったのでしょうか?名古屋、大阪他へはツアーされたのでしょうか?


毛利:一切行っていません。お隣の福井に数回行った程度です。ひたすらメンバーチェンジと曲作りとレコーディングで時間が過ぎていった感じです。遠征に行くところまでの準備はなかなか出来なかったです。


矢野:目黒ライブステーションは武がDEETH BREEDの東京遠征にデモテープ持参で同行して直接ブッキングしたと聞きました。俺の機材車を使って東京行ったんだよね。


岩田:残念ながら遠征が決まった時には解散の意思は固まっていました。


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--- 解散の理由は?


毛利:1988~89年に「NORWEGIAN FOREST」のレコーディングしているあたりから迷いがありました。出口の無い迷路で迷ってしまったようになって…。今後の活動や音楽性、全てに確信が持てなかった。デモテープを発売したころには5曲中2曲がかろうじて残った感じで、方向性も変わってしまっていた。


岩田:6年あまりの活動に疲れてしまった。あとメンバーにどうしても一緒に活動できない人がいた(笑)。新しいメンバーを探す気力も残っていなかったです。


毛利:自分がこのバンドをやり続けることで他のメンバーの私生活や自由を奪って縛り付けてるような気がして、もう潮時かなと。そんな気持ちもありました。


矢野:自分は外からHELL BOUNDを見ていましたが、メンバーチェンジから2年弱、フルアルバム並みのデモテープも発表したし、東京遠征の決定も聞いてこれからと思った矢先で驚きました。


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--- 解散後のメンバーの動向について教えてください。


矢野:自分は1988年にHELL BOUNDを辞めた後、地元のハードコアバンドBLANQUISMEというバンドで活動していて、1988年にデモテープ1本と1989年に自主制作でEPを1枚出しています。富山~金沢にツアーに来たハードコアのライブはほとんど対バンして来ました。鉄アレイ、LIP CREAM、DEATH SIDE、GHOUL、SxOxB、RAPES、OUTOなどなど。変わったところでは、1st発表直前のNUKEY PIKESも富山に来た時に対バンしました。1989年の解散直前に岩田から新しいバンドをやりたい、ギターを辞めてベースを弾くので一緒にやらないかと言われました。ベースを弾くって言うのには驚きましたがBLANQUISMEを辞めて新しいバンドを一緒に作ることにしたんです。


岩田:早々に金沢でちょっと気になるギタリスト2人とセッションしてみたんですが、どうしても求めていたフィーリングが感じられなくて…。意を決して毛利に連絡してみたんです。ギター弾いてって(笑)。


毛利:6年ぶりにギタリストに戻りました。


矢野:Voにはハードコアシーンで知り合った松本を起用して、ハードコア寄りのスラッシュメタルをやる事に決め、GUSTと名前を決めました。このバンドから自分がメインで曲を書くことになりまして、ギターを弾きだしたんです(笑)。GUSTのデビューライヴ(1990年4月1日)はSxOxBの前座でした。自分はハードコアシーンに繋がりがあったので富山のFRANというバンドに誘ってもらったんです。その後すぐにレコーディングに入り6月には6曲入りのデモテープを発売してライヴ活動をしました。V4からのオファーでOUTRAGEのツアーの対バンもやりましたが、とにかく周りにバンドが居なくて活動には苦労しました。


毛利:1991年の春に音楽性の違いを理由に岩田からGUSTを辞めたいと切り出され、ベースを探していたのですが、矢野にも2人目の子供ができて解散することになったんです。


岩田:自分は解散後、元HELL BOUNDの武と女性VoをフィーチャーしたハードロックバンドBUCK DRAFTを結成。何度かのメンバーチェンジの後1年ほどで解散。その後は主立った活動はしていません。


矢野:GUST解散後はバンド活動を辞めてました。しかし曲作りは継続しようと決めていたので、目標があった訳ではないけど、早速リズムマシーンとMTRを購入して作った曲を録音していきました。1993年に現GREEN MACHiNEの門沢が立ち上げたバンドでOVERRIDE NEGATIVEに誘われて参加してます。自分は継続的な活動はできなかったので、曲作りとデモテープのレコーディングという約束で2年ぶりにドラムを叩き、ライヴも1回やりました。楽しかったです(笑)。それで、この頃に門沢に聴かせた自分のテープが縁でULTIMATE ATTACK (注:1994年リリースの金沢のハードコア/スラッシュメタル/デスメタルのオムニバス)に誘ってもらい参加することになったんです。音源参加のためにEDIBLE AUTOPSYと名前を決めて。ULTIMATE ATTACKのレコ発や企画ライヴにも出してもらうためにメンバーを集めてといった感じで。メンバーは流動的でしたが、岩田にも松本にも所々で参加してもらいました。ライヴが決まったらスタジオに入って、たまに新曲を書くっていう活動を続けながら2007年にEVOLとSplit CDをリリースして金沢と京都でレコ発、翌年には東京にも行きました。現在は矢野(Vo /B)、毛利(Gt)、岩田(Gt)とHELL BOUND丸かぶりのメンバーで落ち着いています(笑)。


毛利:自分は2006年にEDIBLE AUTOPSYに入るまで音楽の活動は一切やりませんでした。


矢野:2012年の暮れ頃から、元CERBERUSのアキラ(Gt)とGRIND SOULというバンドも始めまして、20年位まともにドラム叩いてなかったけど、おかげでドラムのリハビリは8割がた出来てました。


--- 再結成の経緯と今後の活動について教えてください。


矢野:2014年に(自分の)銀婚式のライブパーティーをやろうという事になって、手伝ってくれる友達やライヴハウスのオーナーさんに、どんなイベントにするかとか相談してたら「HELL BOUNDをやったらどうか」となったんです。それでメンバーに伝えて、ベースにはアキラ(ex-CERBERUS)を頼んで実現しました。当初はその日のイベントだけのつもりでしたし、その後のことは考えてませんでしたが、終わった後に、「もう一回ガチのライヴをやりたい」って提案したんです。メンバーの了解をえて、それからGENOCIDE nipponの竹内さんと連絡を取って、地元のバンドに声かけて、会場を抑えて…。1年越しでやっと先日のライヴにこぎつけました。2014年のメンバーは毛利順一(Vo)、岩田昌洋(Gt)、矢野久則(Dr)、アキラ(B:ヘルプ)、矢野貴将(Gt:ゲスト)で、2015年のメンバーは毛利順一(Vo)、岩田昌洋(Gt)、矢野久則(Dr)、所村武(B)、矢野貴将(Gt)でした。ちなみに矢野貴将は24年前にGUST解散時に生まれた息子です。


1年越しでやっと先日のライヴにこぎつけました。

1年越しでやっと先日のライヴにこぎつけました。

2015年のメンバーは毛利順一(Vo)、岩田昌洋(Gt)、矢野久則(Dr)、所村武(B)、矢野貴将(Gt)でした。ちなみに矢野貴将は24年前にGUST解散時に生まれた息子です。

毛利:先日のライブが終わる瞬間まで「これで本当に最後だ」と思っていましたが、GENOCIDE nipponの竹内さんや天谷さん、わざわざ関東から見に来てくれたお客さん他、地元のバンド関係の方々に続けて欲しいと言って頂き、もう一度HELL BOUNDを真剣にやってみようと思えました。声をかけてくれた皆さんのおかげです。


岩田:これでメンバーも固定してやっていくつもりです。


もう一度HELL BOUNDを真剣にやってみようと思え...

もう一度HELL BOUNDを真剣にやってみようと思えました。

これでメンバーも固定してやっていくつもりです。

矢野:まだバンドで合わせていない曲を含めると未発表の曲が40~50曲あります。当面この中から厳選して曲数を増やしていきますし、完全な新曲も作るかも知れません。


毛利:精力的に活動して行きたい。いろんな土地でライヴをやりたいし、今後は音源を出すことも考えたいです。


HELL BOUND Facebook Page

別府伸朗

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#芋男爵 #ベルボ芋記者 #高崎線 #腹神様信仰

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