第一回:大谷慎吾氏(UNITED)× 丹正篤史氏(ESP)対談

2015年10月30日 更新
第一回:大谷慎吾氏(UNITED)× 丹正篤史氏(ESP)対談
記事公開日:2015/10/26

アーティストが音源制作やライブの上で切っても切れないもの、むしろ武器と言えるものは楽器であることは音楽好きなら誰にでもわかること。アーティストが楽器や演奏手法においてのことは専門誌などでも沢山記事になっており触れることができるが、アーティストの武器供給を影で支えている楽器メーカーや楽器店、テックの方との人間関係性にフィーチャーしているものはあまり表に出てこないような気がした。輝くアーティストを支える裏方の人達との話だって聞いてみたいじゃない!というコーナー。第一回目はUNITEDの大谷慎吾氏とESPの丹正篤史氏との対談。
大谷慎吾氏(UNITED) × 丹正篤史氏(ESP)

大谷慎吾氏(UNITED) × 丹正篤史氏(ESP)

「もとはUNITEDから始まって、そっからバーッと広がっていったんだよね。」

丹正:もともとちょうどESPが新しくEdwardsブランドを立ち上げるた時に、Edwardsを使用してくれるモニターを探せっていう指令が会社からありまして。

大谷:OUTRAGEが使い始めてたんだっけ?

丹正:そうですね。

--- それ、何年くらいですか?

大谷:89年くらいじゃない?UNITEDの1stアルバム出す前じゃないですか?

丹正:俺が会社に入ってすぐの頃じゃないかな。その時に持ってきた資料が『Demo 89』と、鹿鳴館の時のビデオだったから。

大谷:それを持ってきたのって誰だったのかな?もうハウリング・ブルだったのかな?

丹正:どうだったかな。小杉さん(ハウリング・ブル社長)はまだ来てなくて、関根君(当時OUTRAGEマネージャーの)経由で上司に言って、上司から「UNITEDってバンド知ってるか?」って聞かれて、俺はもう高校の時から好きだったから「知ってます」って。

大谷:そこで丹ちゃんの推しでさ、「UNITEDイイっすよ」って言ってくれたの。でも、会ったのはそこが初めてだったんだよね。高田馬場の事務所?

丹正:でも俺、1回ライヴ行ってるんで、鹿鳴館かどっかだったかな。

大谷:そこで挨拶してるんだっけ?その辺があんまり覚えてないんだよな…言ったら(丹正さんは)DEMANTIAもROMMELもX(後のX-JAPAN)も、その辺のバンド全部見てるから。

丹正:丹正:その時は大谷さんもROMMELだったもんね。UNITEDも今のメンツじゃなかった。

大谷:マーチャン(原正樹氏/1981~1988までG)もMANTASにいて。その頃のUNITEDを見てるからね。だからその時はほとんど面識がなかったんだけど、実は地元が沼南町と柏で隣の町だったっていう。よく帰りは丹ちゃんに送ってもらって。まあ、そっからなんですよね、Edwardsブランド使い出して。すぐにカスタムのモデルも作ってくれたんですよ。まずは1本借りてみて…いや、借りてみてもなにも、まずは作ったんだよね、俺も(Hally)先輩(G)も。

丹正:とりあえず、ブランドとして何をしていいか分からなかったので、欲しい形を作っちゃえ、って感じで。

大谷:「じゃあ、Vで」って。それで、Hallyがムスタング・モデルなんだよね。もともとそういうの使ってたから、その形で作ってみようって。レコーディングの時はまだ使ってなかったね。1stが出た…要は25年前のツアーからEdwards。3人ともね。それからは2本目、3本目って早かった。Edwardsの売りになる、特化した、半分半分指板のネックのヤツとかメタルブランドのやつとか、また2本目のVを作ってもらったり、横センもグラフィックが入ったのを作って、カタログにも載ったりして。ESPのカタログとは別にEdwardsのカタログがあったのね。そこにOUTRAGEとかうちとか(が載っていた)…それが25年前です。

丹正:その頃は、今みたいにアーティスト専門の部署があったわけでもなく、営業でギターを各地に売りに行く片手間にやっている状態だったんで、あんまりライヴを見に行くことが出来なかったですね。

大谷:で、当時は高田馬場に営業所があってメンテナンスを丹ちゃんやるんじゃなくて、営業部のリペアマンが調整してたね。

丹正:僕が、お店から受け取ってきたものを「修理してください」っていうのと同じように、アーティストのギターも持って行って、営業のリペアマンが一般の人と同じように直すっていうやり取りをしてる感じだったから。

大谷:ちゃんと顔出して、挨拶して。工場見学とかもしてたよね。昔、火事になっちゃったところだっけ?忍者屋敷みたいなところ(笑)。

丹正:火事になっちゃった所は木曽にあった工場。高田馬場、木曽、佐渡に工場があって御茶ノ水、渋谷、名古屋、仙台の店に工房がありました。今は埼玉の工場に移しちゃったけど。

大谷:工場見学に行くと、自分たちの物以外にも、作ってもらってる色んな人のギターがあって、何故か日本なのに、TESTAMENTに渡すギターとか、METALLICAのJames(Hetfield)に渡すギターとかもあったんだよね。それは覚えてる。「本人が使うのか~、ちょっと触っちゃおうかな」とか(笑)。

丹正:基本は、日本のアーティストであろうが、(一般の)お客さんだろうが、アメリカのアーティストだろうが、同じような感じで。METALLICAとかは、トゥルルトゥットゥルル~ってFAXで…まあ、その時代だからFAXで(注文が)来て、「Jamesこんなの作るんだ~」って、工場行くと分かるようになってる。そうすると何か月後か経つと本人が使ってて、「ああ、アレだね~」って。

大谷:すげ~。あそこ(当時の高田馬場の工場)ってデッカイ…一軒家みたいな?工場ぽっくなかったもんね。

丹正:2階に上がる階段が、90度ではないけどそれくらいの角度で、その上に塗装場があって、塗装場まで10枚20枚と木を上げるのでみんな辞めていくっていう(笑)。エレベーターもないしね。そういう過酷なところ。

大谷:そこに外国のアーティストが…George Lynchだっけ?が、来た時に、「忍者屋敷だ」って(笑)。あそこ2回くらい行ったかな~。初めて行った時、菓子折り持ってったもんね。「こんなアーティスト初めてです」って言われた(笑)。その後はお茶の水のショップのBIG BOSS方に丹ちゃんが異動して。

丹正:営業部からお店の店員になりました。お店だから駅から近いし、なんかあったらちょっと寄るっていうことが出来たせいか、その辺からすごく仲良くなったというか、よく話すようになって。営業部の時は、僕も営業で外に出ちゃってる時とかもあったし、たまに調子が悪い時だけ電話が来て、直すだけって感じだったから。

--- 今度はお店に行けば会える状態になったんですね。

丹正:そう。くだらない話も出来たし、ギターがいっぱい飾ってあるから、そこであーだこーだっていうのも何となく話せて。

大谷:(それまでは)ギターだけだったのが、「今度はこんなアンプどうかね」とか「エフェクターこんなの使うのどうだろう」っていう相談に乗ってもらえたり、BIG BOSS他の人を紹介してもらったりね。丹ちゃんも忙しいから、川又君は、エフェクターとかアンプ。修理の方はモック(橋本君)で…みたいな、色んなことで世話になったね。

丹正:店に来たぶん、色んなことが出来るようになったというか。

大谷:当時だとハウリング・ブルだと?寿々喜か。LAWSHEDの寿々喜(LAWSHED→GRUBBY→現PULLING TEETH)は、自分で作ったのか。

丹正:寿々喜さんはGRUBBY後半ぐらいからですね。あとはHELLCHILD、GUMBOILとか。UNITEDから(つながって)、ハウリング・ブルに色んなバンドが紹介されて、そっから色々どんどん広がってって。ハウリング・ブルがHi-STANDARDやるってなった時に、またそこからメロディックのパンクのバンドとのつながりが出来て、っていう感じ。もとはUNITEDから始まって、そっからバーッと広がっていったんだよね。

大谷:普通に先週も現場で会ってる訳だしね。難波君(NAMBA69、Hi-STANDARD)ので。

この対談の前週、『TONE RIVER JAM '15』でUNITEDはNAMBA69と共演している
UNITED / TONE RIVER JAM '15

UNITED / TONE RIVER JAM '15

--- では、UNITEDと共に歩んできた、という感じなんですね。

大谷:90何年くらいから10年くらいはずっとツアーにも来てくれたし、ライヴで丹ちゃんがいない時がなかったもんね。サクちゃん(ローディー)と丹ちゃんっていうチームが出来てた。

丹正:ローディーみたいなことするのが、本来の仕事じゃないんだけど、アーティストに使ってもらって、そのギターを(お客さんが)「欲しい」ってなるのがいい訳で。

--- いい宣伝になりますもんね。

丹正:レコーディングやライヴの現場が最先端だと思うんですよね。演っている人が最先端、一歩先な訳で、それを聴いたお客さんに「カッコいい」って思ってもらわなければならない。だから、その為にアーティストさんの「ここがいいよ」とか「ここがよくないよ」とかいうものを、どうやってギターやベースにフィードバックしていくか、それはやっぱり、現場に行くのが一番早いんです。見に来てるお客さんの反応を見て、「このバンドだったらうちのギターを使ってもらってもアピールになるんじゃないかな」っていうのも分かったりするから。

大谷:ESPからの出向で現場に来てるって感じ。

丹正:現場でマーケティングしてる感じですね。そういうところから色々とアイディアみたいなものも出るし。

--- やっぱり現場に出ないと分からないこともありますもんね。

丹正:別にアーティストがギターに詳しくなくてもいいんです。「音がモサっとする」とか、「前と違う感じがする」とか、「ヒッーってノイズが出る」とか、なんでもいいです。アーティストが言っていることを作り手側とか企画側としては分からないこともあります。現場に行って、それを詰めていくと「ああ、こういうことなのね」って分かることもあるし。

大谷:それはライヴ見ないと分かんないもんね。

「この年代の人たちは色んな物を買ったり使ったりしてるから、自分の好みみたいなものが解ってる。」

丹正:ESPで、スケールが長くなっている仕様のギターやベースがあるんですけど、UNITEDがアメリカでレコーディングしてきた時に、「オクターブが合いにくいなー」「弦のテンションが欲しい!」みたいな意見が出まして、当時使ってたギターと、今やりたい音楽ではチューニングとか細かいことが変わっていくと使いづらくて…要は、もともとある曲で普通に使うにはいいんだけど、ちょっとチューニングを下げたり、特殊な使い方をすると、合いづらくなったりっていうのがあって、と。今うちで作っているスケールが長いのは、こういう話から作ったものなんです。「ちょっと(スケールが)長いの作ってみればいいんじゃないの?」って作ったものをまずは使ってもらって、「どうだった?」、「良かったよ」ってなれば、正規(の商品)になる。最近はV系の人たちが7弦使ってチューニング下げたりしてるじゃないですか。それを、その担当のコたちがあーでもないこーでもないって会社の中で話してると、「10何年前にUNITEDでやってるよ」とか、「何年か前にSUNS OWLで話してるよ」とか、「ギターの弦すげー太くしたけど、結局このくらいが良かったよ」とか、逆にそっちのコたちから、こっちにはないものを教えてもらったりと情報の交換してますね。

大谷:7弦ギターとかは、先に他のメーカーも出してたからね。随分前にIbanezとか。

丹正:うちも7弦ギターはだいぶ前に楽器フェア用プロトタイプで作ってましたね。太い弦を増やす方じゃなくて1弦側を増やす方で低音でなく早弾き路線で。George Lynchが持って行ったんじゃないかな?

大谷:7弦ギターは海外のバンド…まあ、Steve Vaiも使ってたけど、やっぱKORNが出てきて、ああいう音を出すには太い弦を張るっていうのを聞いて、自分たちも取り入れようってなったんだけど、その時はすぐに7弦ギターを作れなかったんだよね。フロイド・ローズ7弦用とか、色んなパーツの問題で。だから、最初はフロイド・ローズの付いてないギターを作ってもらったりして。その時、IbanezのアーティストもKORNとか海外のバンドが使ってるだけで、日本のバンドでは7弦を使ってる人がいなかったんだよね。「7本も弦があんの?!」って、当時はビックリしたし。まず、それを使ってみたいと思った時、試しに6弦のギターの弦をずらして、1弦外して2弦から張れば、2、3、4、5、6、7って6本張れるから、それで曲を作ってみよう、ってやってみて。でも、UNITEDって(それまでの曲は)レギュラーチューニングの曲だから、ギターを3本使ってたんだよね。3本をとっかえひっかえしてた。でも7弦ギターだったら、それ1本でライヴが出来るよね、ってことで、とうとう7弦ギターのVが完成した、と。それが2000年くらいかな。

丹正:当時7弦を使うってなると、KORNみたいにすごくチューニングを下げて、ドロドロ~ンって感じの音だったんだけど、UNITEDはレギュラーの音の上に低いのが入るっていう感じだから、昔の曲も新しい曲も1本で全部出来るよっていう。

大谷:今のギターの1号機っていうのが出来てから、1本で全国ツアー廻ってたんですよね。湯浅(Vo)が入ってからじゃないかな。でも、その時のレコーディング(『INFECTIOUS HAZARD』)は、違うギターで録ってる。ツアーに出る頃に出来上がったから。それまでにも、自分のオリジナルのギターを6弦でESPが作ってくれてて。だからホント、今日まで25年の付き合いって訳なんです。

--- 四半世紀ですね。

丹正:大谷さんの世代ってある意味いい時期なのか、ギター上手い人がいっぱいいるんですよね。情報が何にもない頃だったと思うから、結局レコードから自分で落とし込むしかない時代だったろうし、Hally先輩とか高校くらいの時は「へヴィーメタル」って言葉がなかったって言ってたくらいで、それを開拓してきた。あと(25年前の)当時から、ある程度ギターを買ってるって思うですよ。その頃、20代…後半、くらいですよね。大谷さんはもっと若かったかな?

大谷:24、5歳だったと思う。

丹正:その頃でも、既にギターいっぱい買ったり使ったりしてたでしょ?

大谷:初めてギター買ったのなんて、小学校6年生だから(笑)。Grecoのレスポール。

丹正:今のコたちって、そんなにたくさんギター買ってないと思うんですよね。この年代の人たちは色んな物を買ったり使ったりしてるから、自分の好みみたいなものが解ってる。「形がVだったらいい」っていうんじゃなくて、Vでもこんなのが出てるとか、あんなんでこんなんで…って。単純にメーカーとしても、ギター1本作るとしても話が早い。最初に言ったように、始めからギターが作れたのも、ある程度決まったイメージがあったからだと思いますね。

大谷:「これが使いたい!」っていうのが断固としてあったのかな。そこに辿り着くまで、小学校からギター買って…でも、その時買った切っ掛けも、Jimmy Page、LED ZEPPELINが好きだから「レスポール買うぞ!」ってお茶の水にレスポール買いに行って、お年玉じゃ買えなくて、親父が出してくれてGrecoのレスポールが買えたっていう。そっから始まって、今度はRitchie Blackmoreが好きだから「ストラトが欲しい」ってなって、高校に入ったら買っちゃあ壊して買っちゃあ売ってを繰り返して。その後はへヴィーメタルがたまらなく好きになって、で、JUDAS PRIESTが好きになって、「ならVだろ!」って。Vと同時にその当時、フロイド・ローズっていうすごいのが登場して、「なんだこれ?!フロイド・ローズ?高いけど…買うだろ!」って。もちろん、自分の好みもあったし、確かに一通りバンドもやってて、ツアーもやってたし、それで24歳でUNITEDに入ったからね。だから、もしそこでESPと出会わなかったとしても、他で作ってもらったりしてただろうし。その前も、実は作ってもらってたことがあったんですよ、EMPERORっていうバンドをやってた頃に。楽器屋やってたERANANっていうブランドで、そこで初めてギターを…タダで貰うっていう言い方はナンだけど、何十万もするギターを作ってもらって、そこはすぐに終わってしまったんだけど、ESPになってから、自分はこういうのが作りたいんだっていうのを丹ちゃんに直で言って、そこからずっと…6弦が7弦になっただけで、基本的なことは変わらない。ちょこちょこは変わってるけどね、ボディの木材とか。でも、基本をすごく分かってくれてる。こないだも新しいギターが出来たんだけどね、何も言わなくても出来てたから、「ああ、そうそうそう」って(笑)。握りとかね、感触はうるさいから、1本メンテも兼ねて(見本として)預けておいて。出来上がったギター見てみたら「これこれ。同じ同じ」っていう。今回はESPのオリジナル・シェイプのARROWなんだけど、それを自分が使ってて、メタルを好きになったコたちがUNITEDのライヴを見て、それが欲しくなってESPのショップに行ったら、大谷と同じ形のギター売ってんじゃん、ってなったら嬉しいよね。

UNITED 大谷氏 愛用器

UNITED 大谷氏 愛用器

「3弦って、メタルの最先端なんだなって(笑)。」

大谷:僕らみたいなアンダーグラウンドなバンドは、あんまり(ESPに)恩返しが出来ないんだよね(苦笑)。恩返しが出来るとしたら、アルバムを作った時に中ジャケにロゴを入れたりとか、雑誌なんかのインタヴューに載ったりするときは、そこでESPのギター持って写真を掲載したりとか、そんなことしか出来ない。だからこの25年間、大した恩返しは出来てないんだよね。作るだけ作ってもらって、色んな事してもらって、逆にESPがなかったらUNITEDもないくらいだろうし…って、締めになっちゃうよねこんな話(笑)。終わっちゃいましたよコレ、ダメだよ(笑)。ホントね、僕ら弦楽器隊はずっと一緒だったから。まあ、一番大変だったのは横山さんのベースだったと思うけどね(笑)。それも全部丹ちゃんが受け入れてくれて。

丹正:大変だったっていうかね…あの人はまた(ギターの2人とは)違うマニアックさで。新しいチャレンジみたいなのが多かったかもしれない。大谷さんとHallyさんは、チャレンジではなく、ある程度「この音を追求したい」みたいなのがあって。(Hally)先輩の方はちょっと違うかな。「飽きたから、新しいのでやってみたい」っていうのがあったけど、大谷さんは変わらない感じ。横ちゃんは、「人と違うことがしたい」とか「負けられねえ」とか、そういうところがあって、あと、ちょっとくだらないところがプラスされて、何か面白いものを作るっていう。そういう面白い発想はすごく貰ったから、さっきの恩返しみたいなものはね、全然…(もう貰っている)。で、(横山は)あの性格だったから、ダメなものは「ダメ」ってはっきり言われたし、こっちとしてはそれが悔しいから、どうするかって考えるし、向こうも向こうで、ダメだとは言っても「もう二度と使わない」とはならないで、ずっと一緒にやって行こうよって言ってくれていたんです。僕もすごい勉強になった。

丹正篤史氏

丹正篤史氏

Cokehead Hipsters Facebook Pageよりお借りいたしました。

https://www.facebook.com/cokeheadhipsters
大谷:3弦ベースなんて、作っても売れないだろうね。「横山モデル!」とかいって(笑)。誰か買う人いるのかな?「弦3本しかないの?」みたいな。

丹正:だってあれはもともと、5弦ベースを使ってるヤツがいっぱい出てきたから、じゃあ俺は増やすんではなく減らす!っていうところから始まってるから。でもこっちとしては、パーツが特殊で、ペグはいいんだけどブリッジの部分は売ってないから、とりあえずまあ、無理だろうとは思ったんだけど、断るのもナンだし、「パーツがあれば作るんだけどね~」って、まあ邪見にする訳じゃないんだけど、無理だよねって話してたら、結局ブリッジを特注で作ってきちゃったからね(笑)。じゃあやるしかないねって話で。

大谷:あれは大変だったでしょ?今までのUNITED史上。弦3本で、ネックの握りとか。

丹正:でも、基本的にはブリッジがあれば。

大谷:ALKALOID、今RE-ARISEの志村(Punky 広司)さん。Punky先輩が「作ってきたぞー!」って。でね、2個目が出来てたって知ってた?2個目が出来たっていう日に横セン亡くなっちゃったの。

--- えッ、そうなんですか…?

大谷:そうなの。志村さんが金属を扱う仕事してるんだけど、ブリッジがあるから3弦ベースがもう1本出来るって言ってて、新しいベースは喜国(雅彦)さんが絵を描くって話だったんだよね。で、ブリッジが出来たから横山に連絡しなきゃって言ってたら、亡くなっちゃった、っていう。だから喜国さんも結局絵描けずに終わって。

丹正:一応、新しいプランももう言ってて、「こないだ作ったブリッジはこうだったんだけど、次はこうしてああしてこうしたいんだよ~」って。でも、うち分かんないから、「とりあえず作ってきてくれる?持ってきたら作れるよ」って言ってたら、「じゃあ、作ってくるぜ」なんて言ってて…出来ちゃったね。

大谷:出来た…らしいっすね…うん。

丹正:でも、そうやって面白いことは色々やらせてもらったかな。横ちゃんは、そういう感じでしたよね。同じUNITEDのメンツでも、ちょっと捻曲がってるし、先も見てるし、昔のことをあまり振り返らないで先々行くから。

大谷:大谷:こだわりももちろん持ってただろうし、そこがね、音に出てたよね。アンプのこだわりとか、ペダルのこだわりとか。他のヤツは色々使うけど、俺はこうだ、っていうのがあった。まあ、3弦ベースはビックリしたけどね。「何それ?!」って。そしたら、(3弦ベースを作った)翌年に、一緒にツアー廻ったTESTAMENTのベースも3弦ベースだったっていう(笑)。「3弦ブラザーズ」とかいって仲良くなってたよ。一緒に写真撮ったりして(笑)。でも、TESTAMENTのベースは、5弦ベースを1、3、5だけ張って使ってた。やっぱり、そんなブリッジ売ってないし、作れないし。(横山のベースは)一点ものブリッジだから。Steve Di Giorgioさんっていうんだけどね、TESTAMENTのベース。5弦のペグ外して、ブリッジも3個にして、あのネックの幅と弦の間隔でスゲー弾きづらそうだった(笑)。横センが亡くなった後、Steve Di GiorgioのFacebookで、横センのこと書いてて「3-string bass bros.」って、一緒に撮った写真とか載ってて……う~ん、3弦って、メタルの最先端なんだなって(笑)。最先端いってんな~横セン。

丹正:最先端かもしれないよね、いらないもの外しちゃって。

大谷:頑なにベース低い位置で弾くから、ヴォリュームがこんなとこ(構えた時の、ボディの上側)に付いてたりして。

--- 結局、作ったパーツはお蔵入りに?

大谷:なっちゃったんじゃない…かな?

丹正:僕も直接連絡してた訳じゃないから、どっかに飾られてるかもしれない。

--- 横山さんの遺志を継いで、どなたか3弦ベースで…

大谷:うん、そうだね。今後そういうベーシストが…なかなか出てこないと思うけど(笑)。そのベース1本で今までの曲を弾けるように、当然高い音を出すには(左手を)すっごい移動するから、物凄い練習してたもんね。「それ、もともと無理があるんだから、4弦にすればいいのに」って言ったら「いや、なんとかなんだよ」って言いながらやってた。先のこと考えてなかったよね、「昔の曲どうやって弾くんだ?」って(笑)。

丹正:「5弦のベース弦買うと2本残るから勿体ねえ」とか言って(笑)。

大谷:5弦のセットじゃないと賄えなかったからね。2本は捨ててた(笑)。

丹正:バラで買うよりセットで買った方が安いからね。

ヨコセンがUNITEDでメインに使っていた3弦ベース

ヨコセンがUNITEDでメインに使っていた3弦ベース

忘れてましたがこないだ新宿でLIVEの帰りにヨコセンのお店歌舞伎町のFROM DUSK TILL DAWNにヨコセンがUNITEDでメインに使っていた3弦ベースをやっと渡しに行けたんですよね、パネルと一緒に展示してあるので是非お店に飲みに行って下さい〜〜
(大谷慎吾氏Facebookより引用)
大谷:でも、2本使わないからね。ギターでも使わないからな~。「大谷さん、いる?」、「いや…いらないな~」って(笑)。でね、音にもすごく丹ちゃんはこだわってくれて、こういう音楽…ずっとUNITEDのファンでいてくれたっていうのもあるけど、メタルをね、ちょっと一世代先のLAメタルとかもガッツリ通ってきてるから、分かるんですよね、メタルの音が。だから、アンプのこととか、エフェクター、ペダルのことも、相談に乗ってくれるし。最近はONE CONTROLっていうのを試したりしてるんだけど、それも丹ちゃんがね。今までは嵩張るラックを使ってたの、エフェクトラック。今まではチューナーとかも全部アンプに重ねて車パンパンになってたんだけど、それを足元で何とかできないかなって、ずっと悩んでたんだよね。重たい機材もどんどん小さくして行こうって。アンプはしょうがないよね。今はそういう時代でもないのかもしれないけど、やっぱり僕らはアンプを鳴らしてやりたいし、そうするとこれ(エフェクトラック)をどうにかしていこう、チューナーも小さくて足元のやつで全然いいのあるし…って。

丹正:もうね、歳で見てられない!重たいものを持ち上げてる姿を(笑)。特にHally先輩は見てらんなくなるよね。大谷さんはまだ「よいしょ!」ってやるんだけど、Hallyは「ングッ」っていう顔をするから、もう可哀想だと(笑)。もう、楽々にしてあげたい、って。前みたいにサクちゃんがガッツリ来れなくなっちゃって、重い荷物を運んでくれる人がいないし。あと、横ちゃんもいなくなっちゃったからね。

大谷:そう、横ちゃんの(ベースのアンプ)が一番大きかった。あれもなくなって、少し軽くなったし。

丹正:音を妥協してセコくするんじゃなくて、妥協せずに作業をライトにしてあげたら、今までよりもフットワークも良くなるし。

大谷:トラブルも少なくなるしね。その辺の足元関係は、全部丹ちゃんが面倒見てくれて。特に先輩は、自分で出来ないから(笑)。俺は自分でやる方なんだけど、先輩は「わかんね。金払うからやっといて」って感じ(笑)。俺は、「こういう物があるなら、自分はこうしたい」っていうのがあるんだよね。A型なんで(笑)。先輩はめんどくさがりだから、「音が良ければ」っていう。

丹正:結構細かいことを言うには言うけどね。

--- 先輩って何型でしたっけ。

大谷:大谷:O型かな。

丹正:先輩は、ちょっと難しいところがあるよね。「まあいいや」っていうところと、一周回って「これでいいや」ってなる時と。

大谷:でも、やっぱり古いタイプなんだよ。俺が、「足元でこういう風なつなぎ方するとクリーンになっていい音するし、今までのアンプと変わらないよ」って言っても、「いや~俺はダメなんだよね。やっぱアンプで歪ませないと」って。それもすごく分かるんだけど、俺は今新しいことにチャレンジしてみたいと思って、ここんとこライヴ3回くらいずっと足元プリアンプにしてみたり。要は、時代と共にいい機材も出てきてるんだよね。足元もちっちゃく出来るし。もちろんロックバンドだから、大型のアンプがぴったりなんだけど、そうじゃなくても意外とね、レコーディングなんかは今の時代これでいいかなって。でもやっぱり(ライヴに関しては)、そこはロックバンドなんで、絶対自分たちのスピーカーで演奏したいし。そこのこだわりはあるね。

--- やっぱり見ている方も、ビジュアルイメージでそれを期待して行きますからね。

大谷:まあ、使わないアンプ何台も積み上げないけど(笑)。うちはメンバーしかいないから。確かにマーシャルの壁になってたらそれはそれでいいけど、使う分だけ、十分な音圧が出ればそれでいいんだけどね。車にも入んないし。最近先輩、運ぶのホント嫌がっててさ(笑)。こないだの(新宿)ロフトの時(2015年8月1日の『DEATH ROCK MOVEMENT2015』)も、ヘッドも出さないとか言ってて。大変じゃない、ロフトって運ぶの。俺が先に着いて、Akira(Dr)と先に機材出したの、キャビとヘッド。そしたら「えっ?キャビとヘッド出すの?こんな暑い日に出すんだ」って(笑)。「出すでしょ、(ロフトに)借りるの?」って聞いたら、「うん、借りようと思ってさ」なんて、今までそんなこと言ったことなかったのに。「いや、出そうよ~。自分のスピーカーでやろうよ~」って言ったら「出しちゃったんならしょうがないな。でも片付けんの大変じゃん」だって(笑)。「片付けようよ、みんなでやろうよ」、「しょうがないな~」って。まあ、実は借りたとしても、音しっかり出すけどね。こないだ一緒にやったBAT CAVEのRYO-SUKE(G)も、全部借り物だったけど物凄いいい音出してたもんね。こだわりのエフェクト使ったりして。それもそれでいいと思うし、先輩も、借り物使ったとしてもあの人が弾くからいい音出すと思うしね。でも、そのくせ借り物の文句言うんだよね。札幌の時とかひどかったもん。「なんだよこのマーシャル!ひでえな、歪まねえじゃん」とか言って(笑)。まあ、そんな時もあると。

丹正:テクノロジーの時代なんだけどね。

大谷:頭の中80‘sだから(笑)。

--- 私も見ていて、昔のバンドは(機材の)積み込みが上手だったなって思いますね。今はだいぶライトになってるっていう印象ありますもん。

大谷:積み込みはうちも凄かったよね。テトリスのように機材者に積んでて。

丹正:「やれ赤箱だ、銀箱だって、ここがずれたらここがみたいな」UNITEDは、ホントに(そうしないと)入らなかったからね、(日産)キャラバンの時。

大谷:入らなかった。ギターケースの順番が違うだけで閉まらなかった。その辺うまくなったよね。

丹正:積み込みがあまいと「ここがこんだけずれてるんだったら赤箱だ、全部出せ!」って(笑)。ホント、そこまでシビアにやってました。

大谷:まあ、結局、車を大きくしなくちゃいけなくて、一時期はマイクロバスとかで移動してたんだけど、それでも、自分の機材でやりたいと思ったし。特に地方は、それで移動して、(車内で)寝て、って全部やってたから。

---あのマイクロバス、結局どうなったんですか?

大谷:なんか、ホンジュラスあたりで、まだ現役で走ってるらしい(笑)。ユナイのステッカー貼った、日産シビリアンが走ってるって(笑)。俺らはもうディーゼル規制(ディーゼル車規制条例)かかっちゃって、都内は走れなくなっちゃったし、床に穴開いたりもうボロボロで。でも、ずっと旅してたんだよね、それで。丹ちゃんとも乗ったし、みんな運転うまくなっちゃった(笑)。日本で廃車にすると金がかかるから、どうにか金かけない方法はっていうので、あるルートを使って…いや、別に悪い事じゃないんですけど、ホンジュラスに持って行ったらしいです。

丹正:あれでどんだけ廻ったんだろう?

大谷:国内だけで30何万キロだったもんね、メーターが。

丹正:全盛期でしょ、あのバス。マグロ漁船ばりに「ユナイ丸」と呼んでたから。あれに乗ったら何か月も帰れないっていう(笑)。

マグロ漁船ばりに「ユナイ丸」と呼んでたから。

マグロ漁船ばりに「ユナイ丸」と呼んでたから。

なんか、ホンジュラスあたりで、まだ現役で走ってるらしい(笑)。

※ 写真はイメージ、本物の「ユナイ丸」ではありません。
大谷:実際に、居酒屋で潰れた対バンの連中とか、目が覚めたら車の中に寝かされてて、起きたら「ここどこっすか」、「もうすぐ名古屋だよ」、「えーッ!!」みたいな(笑)。よく拉致って、1日スタッフにしたりしてたもんね。あと、ヒッチハイク乗せたり。内野さんが目覚めたら、隣に知らないヤツ乗ってて、「お前誰だよ?!」って(笑)。「さっきヒッチハイクで乗せてもらいまして○○です」って(笑)。結構人数乗れたからね。懐かしいです。

丹正:あの時は、まだ内野さんがいたからね。

大谷:そうだね。(車を)停められるところがどこにいってもあったしね、なんだかんだで。当時、デビューの時のEARTH SHAKERとか44マグナムとかOUTRAGEとか、みんなマイクロバスだったよね。それで何とかなった時代。コインパーキングとかに普通に停めちゃってたからね。地方は結構行けたし。さすがにもう維持費が大変だから嫌だけど。

丹正:ツアーするのにはよかったよね。

大谷:そう。だから、それ以外にもハイエースとか持ってて、2台持ちとかもしてた。大変だったよね、結果経費がかかってたっていう(笑)。修理だ何だってね。

--- 今はどうされてるんですか?

大谷:今はちっちゃなハイエース。詰め込んでね。イベントの時なんかは小屋のドラムセット借りたりして、荷物を減らして。自分たちのワンマンだったり、年末にやる大きなイベントの時は持ち込みで、ハイエースは全詰みになるから、さすがに人は乗れないよね。その時は、電車で移動したり、車2台で行ったり。一時、マイクロバスの時も、修理してから2台で地方に行ったりしてたけどね。KEN-SHIN(2009~2012のVo)の時とか。

丹正:でも、KEN-SHINの時はもうあんまりツアーとかしてなかったでしょ?デカいやつ。

大谷:高知行ったり、単発で遠くに行ったりするくらい。

丹正:マグロ漁船はないでしょ?(笑)

大谷:それはやってない(笑)。まあ、経費かかるから2台で動くのもキツイね~なんて言ってて、何とか1台で。って言っても、機材減らすわけにはいかないからね。だから、何とかハイエースに詰め込んで、狭いところに1人滑り込んで寝たりしてて。若いコたちは機材車持たないから、「(楽器の)置き場がない」とか言ってるよね。倉庫とか持ってればいいけど、車がないと。自分たちの機材を持って、ライヴハウスに積み下ろしてやるのが、自分たちは当たり前だったから。だって、昔は(目黒の)鹿鳴館でライヴをやっても、ドラムセットもアンプも、何にもないからさ。PAしかない所だったし、他のバンドもみんな持ってくるから。昔はみんなマーシャルアンプ持ってたから、3バンドでやれば3段積みが3つ出来るんだよ(笑)。普通に壁になっていた時代があったし、それが当たり前だったんだよね。

丹正:今のライヴハウスみたいに、タダで貸してくれないもんね。アンプなんかも、昔はレンタルでいくら、みたいな。

大谷:持ってないもんね。ドラムセットなんかもみんな持ってないし。まずはドラムセット買って、ギターアンプ買って、リハスタにも自分たちの楽器持って行ってやろう、みたいな時代だったから。俺はスタジオで働いてるから、なんとか都合つけて機材を倉庫に置いといてもらって、自分たちの機材で練習出来たけど、今でも機材を積み下ろしてやってるのってSURVIVEくらいだよ。よくやってるよな、毎回…って、だいぶ話ずれちゃってるけど、大丈夫?

--- そうですね、テトリスの話あたりから(笑)。

大谷:こういう話すると長くなっちゃうんだよね。

「『今日はね、ここ仕切る人死んじゃったから』って(爆笑)。」

大谷:そうだな…今の若い人たち?

丹正:どういうことを聞きたいのかってとこだよね。でもホント、最近の人はみんな楽器に詳しくないからね。変な話、「あの人の音がいい!」ってなると、その人と同じ機材を買って、同じギター買って、同じことをやれば(その音が)出る、と思ってるからね。レジェンド的な人たちは、結局(前腕を叩きながら)ここだから。腕があるってことを踏まえて考えないと。ギターにしても機材にしても、それを揃えても(音が)出ないんだったら、自分の腕を上げなきゃいけないよ、って。大谷さんと同じ音を作りたいって思っていても、「お前は大谷さんじゃないよ」ってところから話をしないといけない。メーカー的には、近い音だったら、「これをやってみて」ってピックアップを替えてみたり、色々やってあげられるけど、最終的にはやっぱり腕だから。

大谷:さっき、Hallyの「違うアンプでも同じ(Hallyの)音が出る」って話したけど、うちらはずっとその音でやってきたから、毎回その音になってるよね。アルバムでもライヴでも、UNITEDの音はギターが軸になってると思うし。

--- お二人から見て、今時の若い楽器を弾く人たちの印象ってどうなんですか?

大谷:上手いよね。上手いコは凄い上手くて、でも…なんだろう。

丹正:丹正:あんまり掘り下げて行かないよね。昔は、「このバンドが好き」ってなったら、そのアーティストがどんなものを聴いていたのかってところまで追及したのに。だから、楽器に関してもそうなのかもしれない。

--- 掘り下げですか。楽器をプレイする側だけでなくリスナーにもそういったことは起こっていているようです。そういえば昨今フェスが定着しましたが、若い方は各地で開催されている夏フェスをコンプリートするぐらいな勢いの方もいますよね。私はあまりフェスには行かないんですけど、こないだ知り合いがフェスに行った時に、お客さん自体がフェスを楽しみに来ていて、音楽を楽しんでいるかっていうと、そんなに…今の若いコに対してそういう印象を持てなかったとか。

丹正:フェスに出たいって言うバンドは多いけど、出れば出るだけ、自分達のライブとか大切にしたいものを全部潰していくんじゃないかなと。多くの客に「どうですか?」って出来るから楽かもしれない。今のお客さんは「今度はライヴハウスに遊びに来てね」って言っても、なかなか来ないですよね。バンドがデカくなれればいいんだけど、そんなに大きくないバンドは、自分の大切なところを凄い荒らされちゃうっていうか。今、ライヴハウスは、平日はどこもスケジュールが埋まらないみたい。土日になると、だいたいどこかで何か(フェスやイベントが)やってて被っちゃう、客が割れる。全部で悪いループが始まっちゃっる感じ。

--- それ、この前名古屋で某プロモーター社長さんも同じようなことおっしゃってました。

大谷:そうだね、こればっかりはどうしたらいいの?ってところで…。

--- フェスや夏祭り開催中は普段ライブハウスに行くような人たちもそっちに客足が取られちゃって、それも悪いループの一部なんですかね。やっぱりたくさんのスポンサーがいてたくさんの企業が集まっているところには人もお金もたくさん落ちる。フェスって集大成ですけど、共存共栄がうまくいってるのかというと、アンダーグラウンドシーンにはあんまり関係なさそうですしね(笑)。

大谷:UNITEDが毎年で出てる『TONE RIVER JAM』は「手作り」なイベントなので、お金がナントカってのはなく、毎年誰かが赤字被ってるんだけどさ、うちの地元のコたちが。でも、毎年「地元の祭り」感が出てて…ナンちゃんも凄い喜んでたね、「最高!呼んでくれてありがとう!」って。終わってからもよく話したんだけど、「また来年も出たい。今から(スケジュール)押さえとくよ」ってね。結局、フェスもどんどん人が集まって、かかる費用もあるから、チケット代も上がってくるんだろうけど…

--- 私の地元の後輩もこの9月に地元でハードコア系がラインナップに揃った野外フェスを企画していますが、資金面では色々大変なようであっちこっち奔走しているようです。ハードコア系といえば、Metallization.jpの対談関連で昔(新宿の)アンチノックでの危険な話とかを多くの方が色々聞いたりかせてくれたりしましたけど。今や野外フェスを仕切るぐらい一般層へも認知されたというか健全なものに変わりつつあると感じているところもあるんですね。

丹正:だから、アンダーグラウンドなところに行くっていうのが、あんまり怖いものではなくなった。

大谷:大谷:ライヴハウスも、危険な場所ではなくなったし。

丹正:怖かった人たちも丸くなったり。

--- 歳もとって(笑)。

丹正:そこまで怖くなくなって、優しくなったっていうのもあるね。過激な人が少なくなったって感じ。昔は「ハードコア」っていう言葉も言っちゃいけないような感じだったから。「ハードコア好きなんだよね」っていうと「えーッ!!」ってなってたけど、今はライトに「ハードコア好き」って言える。僕らの頃はハードコアっていうとジャパコアの人たちのことをハードコアだと思ってたから、「そんな気軽に言っちゃダメでしょ!殺されちゃうよ!」って感覚だったけど。

大谷:俺ら世代よりジャパコアの人たちは上だから、俺はずっと髪も長くてメタルだったからなかなか接点はなかったけど。UNITEDに入るまでなかった。UNITEDは昔から関係があったから、「髪が長いのに、メタルなのになんでだろう?」って思ったりしてた。でも、その辺はマーちゃんもそうだけど、横センが色んな人と(交流を持っていた)。でも、この間もlocofrankのイベント(7月に開催された『FOUR SEASONS FESTIVAL』)出たけど、全然アウェイじゃなかった。どんなアウェイだろうがいつものことをやるだけなんだけどね。盛り上がったよ。Tシャツ買ってったり、CD買ってったりしたコもいたもん。いいよね、そういうのは。
--- アウェイとバンドが感じているようなとこでも、掘り下げている感がなくなったといえども、ちゃんとUNITEDのカッコよさをわかるコも中にはいるんですよね。

大谷:そうだね~。俺らを気に入ってもらえる人の前で出来たのはよかった。見てもらえて、いいチャンスだなとも思うよね、フェスは。やる側はね。例えば、今度『ECHOES』だっけ?10月。これはHAWAIIAN6の企画で、呼んでもらったんだけど、また凄い数(のバンド)が出るよね。そこで初めて見る人も「こないだ(前に対バンしている『TONE RIVER JAM ‘15』で)見たけど、ヤバかったよね」って言ってくれる人もいたら、嬉しいですよね。そういうところにも出られる俺らって、別にこだわりも持ってないっちゃあ持ってないからね、昔から。
丹正:アンダーグラウンドの中でも、ちょっと大きな動きが出来ている人たちはそういう感じだよね。もっとメジャーなイメージのところは結構辛いですよ。お客さんが、そういうお客さんじゃないから。「テレビに出てる人じゃないとダメ」っていう。

大谷:確かに俺らは『ROCK IN JAPAN』には出れないよね。出たいとも思わないけど…って言っちゃったらいけないんだろうけどさ(笑)。

丹正:アンダーグラウンドなのか何なのかっていうよりも、そういう今のコたちの見方があるから。逆に、日本のメタルが育っていく為には、そういう「売れてりゃいいや」っていう層の人たちが飛びついてくれた方がいいのかもしれない。日本はどうしてもメタルが盛り上がらない。(リスナーが)コア過ぎちゃって評論家くらいになっちゃってるから。コアな層がUNITEDをどうのこうのって評論しても、どメジャーの人たちにはそんなん関係なく「流行ってるから」っていう理由で聴いてくれるし、そういうノリの人たちの方が広がるし…とも思うんですよね。どっちもどっちで。その前に、フラットな状態の、「いいものはいい」っていうお客さんが増えてくれるのが一番いいんですけどね。HAWAIIAN6とかlocofrankとかのやってる(イベントの)お客さんは、割とフラットかなって。そのバンド自身の選ぶバンドが、利益とかじゃなくて…利益も出ないと絶対マズいんですけど、そこを考えつつも、好きだなとかいいなと思ったバンドと一緒にやりたいって気持ちで呼んでいるのが、お客さんにちょっとずつ伝われば広がっていくでしょ。利益だけだったら多分伝わらない。

大谷慎吾氏(UNITED) × 丹正篤史氏(ESP)

大谷慎吾氏(UNITED) × 丹正篤史氏(ESP)

--- ああいう風に他のジャンルと一緒にやろうと、メタル側から仕掛けていくバンドっていないじゃないですか。何でなんですかね。

大谷:いないねぇ…なんでだろう、知らない(笑)。

丹正:やっぱり、やらないからじゃないですか?アンダーグラウンドなバンドは、「あんなヤツらとはやるのはダメだ」ってなっちゃうし。

大谷:だから、言われてただろうね。「UNITEDはなんであんなパンクのバンドと一緒にやってるんだろう」って。

--- でも、我々にしてみたら、ユナイだから疑問が出ないというか。

丹正:もともとは、UNITEDのレコードだって、ハードコアのレーベルから出てるじゃない?(1985年リリースのEP.「DESTROY METAL」は、パンク/ハードコア・レーベルのHOLD UPからリリース)そもそもUNITEDのいた位置が「どメタル」ではなかったからかもしれない。メタルのサウンドをやってたけど、立ち位置的にはハードコアのところにもいたし、横ちゃんのおかげもあったのかな。

大谷:鹿鳴館出入り禁止になったからじゃない?(笑)(上階にある)叙々苑のガラス割っちゃって、NAOさん(1981~1986までの初代Vo)が(笑)。それから、(同じ目黒の)ライヴステーションでやるようになって、ハードコアのバンドともやるようになったりね。そっからかもしれない。でも、今もね…鉄アレイとやったこともあるし。locofrankに「UNITEDと鉄アレイが一緒に出るライヴあるんだけど出ない?」って言ったら、わざわざ盛岡まで来て一緒にやったんだよ。(locofrankとは)それが出会いだね。盛岡CHANGE(ライヴハウス)のマスターがlocofrankに声かけてさ、「そんなチャンスは二度とない!」ってわざわざ大阪から駆け付けてくれて。(そこでも)locofrankは大人気なんだけどさ(笑)。その後打ち上げて一緒に飲んで、locofrankはビビってたけど、「いいね~カッコいいね」なんて話してて、それからまた呼んでもらえるようになって。もちろん、横フェス(昨年9月に行われた『YOKO Fest The Finalヨコちゃん逝ったよ~全員集合!!』)にも出てもらったし。「もう、あの場にいれるだけで十分でした」って言ってもらえて。凄いね横山さん(笑)。

丹正:やってるバンド側としてはそういうのないんだけどね。ジャンルとか、好きか嫌いかで言ったら好きじゃない、嫌いかもしれないけど、単純にサウンドがよくて、更に人間もいいし、ってなればつるめるんだろうしね。人間の考え方ってそうじゃない。お客さんにそれが伝わるか伝わらないかっていうのは、難しいところではあるんだろうけど。

大谷:みんな(一緒にやると)ヤバいヤバいって言ってくれるしね。こないだも(TONE RIVER JAM ‘15で)G-FREAK FACTORYと久しぶりに一緒にやって、「いや~ホントヤバいっす!ヤバいっす!」って言われて、「いやあ、G-FREAKの方がヤバいよ」って俺から言ってみたら、「いや、昔より全然ヤバいじゃないすか!ユナイ先輩ヤバいよ!」って。10何年振りに一緒にやったんだけどね。

丹正:前はG-FREAKってああいうサウンドじゃなかったもんね。もうちょい昔の、ミクスチャーって言われたような、「あの時代だな」って感じのバンドだったけど。

大谷:最後のenvyも良かったし、難波君も良かったし。envyを地元の河原で見れるなんて!(笑)よく呼んでくれたし、よく来てくれたなって。G-FREAKとも一緒にやれたし、良かったな~。ちょうど先週の話だけど、ああいうフェスもアリだなって。イベンターも入ってなければ、セキュリティもなく、(ステージ前の)柵もなく、舞台監督もいるようないないような現場で、その割にタイムテーブルがまあまあキレイに進んでるっていう。

大谷氏 / TONE RIVER JAM ‘15

大谷氏 / TONE RIVER JAM ‘15

--- 台風が直撃したのって…

大谷:あれは去年。去年はね、俺らの前で台風で、GARLIC(BOYS)もナンちゃんも、ハスキン(HUSKING BEE)もそうかな?GARLICは出れなかったけど(2014年12月で活動休止)、去年(台風で)やれなかったナンちゃんもハスキンも俺らも、みんな今年も出て。

丹正:そういえば誰かが言ってたけどパスを関連の話で「本部に行ってくれ」って言われたんだけど、かき氷屋が本部なの(笑)。

大谷:ユルいんすよね。ユル過ぎちゃって。スタッフがビシッとしてるイベントとかに慣れると、ああいうのは「えっ?なになに??」ってなっちゃう。そういや横フェスの時もさ、舞監(舞台監督)も誰もいなかったね(笑)。

丹正:やっぱり、「入りは何時ですか?」とか「機材の搬入は?」、「リハは?」とか、ローディーがいるちゃんとしてるバンドには聞かれたんだけど、「今日はね、こういうとこ仕切る人死んじゃったから」って(爆笑)。「大人タイム」みたいな時間帯に出たバンドの人たちは、だいたい何にもしなくても巻くくらいですからね。「○○時になったらここに来てくれ」って言えば、ギター持ってきてパッとやっちゃうし。まあ、みんな大人だからどうにかなっちゃうんですけどね。


very thanks to 星川絵里子女史

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