第3回:アーティストのイメージ作りは衣装とか写真とかだけじゃない

2015年10月15日 更新
第3回:アーティストのイメージ作りは衣装とか写真とかだけじゃない
記事公開日:2015/10/15

「アーティストだって人間だ。でも。」

来日公演を終えたばかりのバンドが突然、解散を表明した。あまりに突然のことだったせいで反響は大きく、SNS等でファンは当然驚き、嘆き、悲しむ様子が次々と目に入ってきた。筆者もデビュー時から好きだったバンドだったこともあり、やはり同じようにガッカリしたのだが、それから程なくして、それとは違う感覚のガッカリを味わうことになる。解散を承諾していない他のメンバーの、解散を決めたメンバーへの口撃だ。そこから双方の舌戦はしばらく続き、次第にファンも呆れてしまい、コメント欄には「お前ら子どもかよ」などと書かれる始末。緻密な音楽を創る、インテリジェンスなのが売りみたいなイメージのバンドだっただけに、それまでの想いが単に幻想に過ぎなかったように感じられて、一気に醒めたし、萎えた。貴方たちの音楽に感情を揺さぶられた20数年を返してくれと(少し盛った-苦笑)
幾ら素晴らしい音楽を創っていようとも、アーティストだって人間だ。今はアーティストとファンの距離が縮まっている時代だから、感情を露わにして人間臭さを出した方がもしかしたらウケるのかもしれない。ただ、ファンであるほど、アーティストに対しての幻想や信じたい気持ちを持って接している人も少なくないだろう。特にロック・ファンは他のジャンルに比べても格段にピュア度が高いように感じられる。下世話な好奇心を刺激されて、アーティストの投稿に対して真相を知りたいという気分になったとしても、それが何年も過ぎた後の後日談ならともかく、リアルタイムで可視化してしまうと却って萎えて、残念な気分になったりするのである。筆者も前述のような想いはこれまでに何度も目の当たりにしてきて、その度にガッカリさせられたり、裏切られたような気分になったから、大きく分類されればピュアな方に入るのかもしれない。勿論、メンバー個々のパーソナリティなど関係なく、ただ音楽が良ければそれでいいという層も一定数いるが、今回はそういう方たちのことは忘れることにする(笑)

「感情と言葉のコントロールも時には必要ですよね」

今も昔もアーティストのぶっちゃけた話というものは多い。今はSNSやブログといったものが完全に我々の生活に根付いたお陰で、昔は紙媒体でされていたことが、アーティスト自身からダイレクトに伝えられることの方が増え、それ故、第三者のフィルターが通されない分、ある種の生々しさや強烈さをもって読む者に突き刺さる時代でもある。しかし、それがポジティヴな内容ならまだしも、とてもネガティヴな内容だったらファンの目にどう映るのか。例えば誰の目から見ても同感できるような苦言の類ならまだしも、先述のようなバンドのメンバー同士の罵り合いや、気に喰わないアーティスト、他ジャンルや、そのアーティストやファン(特にアイドル)への批判を通り越したヘイト、時には思想丸出しの特定の個人や団体叩き、そういうものすら何も通さずに書けてしまう時代。
「昔から媒体は何であれロック・ミュージシャンはそうしてきたじゃないか。それがロックというものだ」
そういう人もいるかもしれない。でも本当にそれがロックのあるべき姿なのだろうか? ニヤニヤして投稿を眺め、すぐシェアして拡散しようとする悪意の塊のようなタチの悪い人たちの格好の標的でしか無くなってきているような気がする。
ニャンコ♡ダイ(*´ェ`*)スキ♪ 2008年09月 (7533)

ニヤニヤ
お行儀よくして欲しいと言うわけではない。繰り返すがアーティストだって人間だし、感情だってある。どうしても書きたいなら、ひと晩くらい寝かせてみてから改めて冷静な頭で読み返して、それでも書きたいなら書けばいいと思う。インターネット黎明期と呼ばれているような、ネット上のコミュニケーションはメールやパソコン通信くらいのものだった時代は「ネチケット」という言葉もあって、当時の人はそれなりに配慮しながら接していたものだったが、今はもう完全に死語となり、自分のスペースだから何を書いてもいいくらいに考えている人も少なくない。言ったもの勝ちみたいな。しかし、何の影響力のない一個人が書くのと、一段高いところにいるアーティストはやはり違う。そこに多少の影響力は出るし、いつか炎上という名の言霊として帰ってくるかもしれない。因果応報というやつだ。
言葉の力は強い。しかも一度世に出ればずっと残ってしまう。多くの人が忘れても、人によってはしっかり覚えている。アーティストはイメージ作りだって大事な仕事。その発言から滲み出てしまうイメージだって自分でコントロールすることも大切なのでは?と思うのだが、どうだろう。いつだって画面の向こうにはファンがいる。少なくとも筆者はもうちょっとした言葉でその人の音楽すら聴く気がなくなるなんて思いはしたくない。